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都会の喧騒を離れ、生きる実感を宿す。ゲストハウス「ソラノイエ」誕生物語

DEC. 26

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拝啓、仕事ばかりの生活に疲れ、自然とともに生きる暮らしに惹かれるアナタへ

スーパーで手に入る食材、蛇口をひねればすぐに出てくる水。
便利で満ち足りた日々の中で、ふと胸にぽっかりと穴が空いたような感覚を覚えたことはありませんか。

「この食べ物はどこから来たのだろう?」「この水はどんな旅をしてきたのだろう?」

私たちの生活を支えるものが、いつしか自然の循環やつながりから遠く離れている。そんな違和感を抱いたことがある人は、きっと少なくないはずです。

今回取材したのは、元・岐阜県下呂市の地域おこし協力隊員の中桐由起子さん。東京で「誰かに生かされているような生活」に疑問を抱いた彼女は、日々の暮らしの違和感に向き合い、ついには自然と寄り添う暮らしを体験できる宿「ソラノイエ」の開業に至りました。

自然に寄り添う暮らしは、どんなきっかけから始まり、どんな困難を乗り越えて実現されたのか。中桐さんが理想の暮らしを現実に変えていった軌跡に迫ります。

中桐由起子(Nakagiri Yukiko)さん 農村滞在型の宿『ソラノイエ』オーナー / 1982年生まれ、岐阜県各務原市出身。都内のTV-CM制作会社にて約7年勤務後、渡豪し2年間の海外放浪生活を経て2014年春より下呂市上原地区地域おこし協力隊に着任。任期後の2017年に地域や里山暮らしの魅力発信を生業にしようと起業し、拠点として古民家を改修した宿「ソラノイエ 農村滞在型の宿」を営む。自給自足を目指して田んぼ約3反と畑、山の恵みと暮らしながら、地域の人、同世代の仲間たちと下呂の日々を面白くするためアレコレ活動中。

仕事に洗脳されていた。東日本大震災を機に見つめ直した「本当にやりたいこと」

中桐さんはかつて、東京にあるテレビCMの制作会社で働いていました。

学生時代に美術大学で学び、ものづくりの楽しさに触れてきた中桐さん。
「複数人と協力して1つのものを作ることにやりがいを感じるタイプ」だと自身を振り返ります。

制作会社での仕事は、監督やカメラマン、照明に美術など、多くの関係者と力を合わせ、良い広告を作るもの。そうした業務は、とても楽しかったそう。

しかし、仕事は多忙を極め、自分の時間はなくなっていきます。
たまの休みに時間ができても、「やりたいこと」も「行きたい場所」も浮かばないーー。

まるで仕事のために生きているような状態に、「これって本当に、自分の人生を生きてるのかな」と自らの生き方に疑問を抱く思いが、胸の奥で静かに膨らんでいきました。

その違和感がさらに大きくなったのは、入社4年目を迎えた頃のこと。

「自然の中で暮らす」というテーマのCM制作に携わることになった中桐さん。手作りの食事や、古くても味わい深いものを大切にした生活、自然と共にある生活の魅力ーー。

CM制作を通して触れたその世界は、寝るためだけに家に帰る日々を繰り返していた自分の生活と、あまりにも違っていました。

そして、生活を変える決定打となったのは、2011年の東日本大震災でした。

あの日、中桐さんは都内で仕事中でした。
ビル同士がぶつかって壊れるのではないかというほどの揺れ。地下鉄は止まり、溢れんばかりの帰宅困難者がヘルメットを付けて大移動する尋常ではない状況。

そんな光景を、中桐さんは次の仕事場に向かうタクシーの中で横目に眺めていました。

「みんなが歩いてでも家に帰ろうとする中で、私はなぜか『仕事をしなきゃいけない』って思っていました。でも同時に、『どうしてこんな状況でも働かないといけないんだろう。仕事って何なんだろう』と、強く感じました」(中桐さん)

結局、渋滞でタクシーが動かなくなり、中桐さんは徒歩で職場に向かいました。夜遅くまで働き、ようやく完成させたCMは震災後の放送自粛により、世に出ることなく終わりました。

様々な人の生き方や暮らしを伝えることに魅力を感じて飛び込んだメディアの世界。楽しさとやりがいに満ちたはずの仕事でしたが、その時ばかりは虚しさが押し寄せてきました。

「良いものを作りたいという気持ちはずっとありました。でも、いつの間にか、消費経済を動かすことが仕事になってしまっていたんです。自分が本当にやりたかった『ものづくり』から、どんどん離れている気がしました」(中桐さん)

誰かから「ありがとう」と言われるわけでもない。
果たして、自分の仕事は誰かの役に立っているのかーー。

仕事に社会的な意義があるのか分からなくなったという中桐さん。そして震災の翌年、7年間務めた会社を辞める決断をしたのです。

積み上げた実績より、まだ見ぬ出会いを信じた。ワーキングホリデーという挑戦

仕事をリセットすることを決めた中桐さんは、当時29歳。このタイミングで退職を決断したのは、学生時代から夢見ていたワーキングホリデーの年齢制限が迫っていたことも関係していました。29歳が最後のチャンスだったのです。

問題はどこの国へ行くかでしたが、心はもう決まっていました。退職を考えていた時期に、中桐さんは「WWOOF(ウーフ)*」というサービスを利用して、ゴールデンウィークの間に北海道の農家レストランで働いた経験がありました。

*WWOOF(ウーフ):有機農場や牧場などで行うボランティア活動で、報酬ではなく「食事・宿泊場所」と「力・知識」を交換する。

そこには、「自然の中で暮らす」をテーマにするCMの中で描いていた、憧れの自然との暮らしがありました。

朝は山に行って食材を取り、それを調理してお客さんに振る舞う。このスタイルに心を打たれた中桐さん。

そして、そのレストランのオーナーから「オーストラリアでパーマカルチャーを学んでいた」という話を聞き、自然と持続可能な暮らしが根付く土地であるオーストラリアに強い興味を抱くようになりました。

会社を辞める際、当時の上司からは「今のキャリアを全部捨てて、オーストラリアでアルバイトをするような生活で本当にいいのか」と心配の言葉もかけられました。

「もちろん不安はありました。だけどそれ以上に、外の世界がどうなってるのか、他の仕事がどういうものなのか、全然知らないまま年を重ねていくのが嫌だったんです

積み上げてきたキャリアを手放すのは「怖かった」と当時の不安感を振り返る中桐さん。それでも、前を向ける理由がありました。

「これまでの実績があった分、戻りたければ、また戻れると自信を持てる部分もありました」

オーストラリアの田舎で見た「資源と経済が循環する暮らし」

オーストラリアでの最初の半年間、中桐さんは都市部で現地の人とルームシェアをしながら、語学学校での英語の勉強に力を入れました。

日常生活を送る中で目にしたのは、身近にある「エコな暮らし」の光景。
近くにエコセンターがあったり、オーガニックな野菜を皆で育てられる公園があったり、そうした環境に優しい暮らしが当たり前に広がっていました。

そうした中で、パーマカルチャーを学んでみたい気持ちを一層強くした中桐さん。
オーストラリアの各地で開催されていた2週間滞在しながら学べるパーマカルチャーデザインコースを知り、迷わず受講しました。その時、「まさにこれだ!」と自分のやりたかったことがしっくりハマる感覚があったと言います。

当初の予定では、ビザの期限を背景に、コースを終えたら日本に帰る予定でした。しかし、この学びをただの経験に終わらせたくないと、隣国のニュージーランドでもう1年ワーホリを延長。

ニュージーランドでは、WWOOFを活用して、パーマカルチャーの概念や理念を基に暮らしている人や、パーマカルチャーをもとに農場を経営している人を探して会いに行きました。

特に印象に残っているのは、ニュージーランドの田舎にある宿で暮らした経験です。その宿は、オーストラリア出身の旦那さんと日本人の奥さんがご家族で営んでいました。

そこには、庭で野菜を育て、羊を飼い、雨水を集めて薪でお湯を沸かしシャワーに利用するなど、自然の資源を大切にしながら暮らす姿がありました。

また、宿を運営することで生活に必要なお金もまかなうなど、「資源」と「経済」をうまく循環させる暮らしを実現していたのです。

不便な場所でも自給自足で楽しく暮らせる。田舎でも人が集まる場所を作れる。そして、社会的な活動と『地球に配慮した暮らし』は両立可能なんだと気づきました」

理想だった「自然の中で暮らす生活」が、ただの夢ではなく現実的な目標へと変わった瞬間でした。

海外での学びを、自分のルーツで。夢を実現する地域おこし協力隊という手段

海外での2年のワーキングホリデーを終えた中桐さんは、帰国してすぐに岐阜県下呂市の地域おこし協力隊に就任しました。

「ニュージーランドにいた頃、日本の暮らしについて聞かれても分からず、海外の人の方がよっぽど詳しいという場面を幾度となく経験しました。米は何月に植えるのか、味噌はどうやって作るのか、日本に元々ある自然を生かした暮らしについて、私は何も知らなかったんです」

その経験を通じて、改めて「日本の田舎で学び、海外で学んだ自然と地球に配慮した暮らしを自分のルーツである日本でやってみたい」という想いを募らせた中桐さん。

地域おこし協力隊に興味を持ったのは、自身も地域で暮らしながら、自然を大切にして暮らしている人のために、自分のスキルや経験を使えるのではないかと感じたからでした。

応募先としていくつか候補地はありましたが、とりわけ目を引いたのが下呂市の募集。
募集要項には「地域資源を活かした地域おこしを一緒にしてくれる人募集」というシンプルな文言が並んでいたと言います。

その簡潔な内容が、むしろ自分とマッチしているように感じたという中桐さん。地元が、下呂市から電車で1時間半ほどの岐阜県各務原(かかみがはら)市だったことも背中を押しました。

協力隊募集の締め切りが、日本帰国の3日後だったことから、郵送では間に合わないと自分の足で役場まで履歴書を届けたという中桐さん。「役場の人はきっと、すごい熱量の人が来たとびっくりしたと思う」と振り返りながら笑みをこぼします。

蒔いた種が育つ喜び、地域おこし協力隊としての挑戦と成長

晴れて下呂市の地域おこし協力隊に就任した中桐由起子さん。下呂市で初の協力隊員ということもあり、最初は手探りの日々が続きました。

任期1年目は、地域の方々の声を聴くことに注力。回覧板を通じた情報の回付やワークショップの開催を重ね、地域の資源や課題、理想像を住民の方々と一緒に整理していきました。この取り組みが、今後の活動の方向性を定める大切な基盤となりました。

2年目以降は、時間がかかる活動とそうでない活動をランク分け。着手しやすいものから実行に移していきました。例えば、放課後児童教室での子どもの見守りや、なくなってしまった夏祭りの復興、田んぼ体験の企画など。地域の協力を得ながら一つ一つのプロジェクトを形にしていきました。

中桐さんが主導して始めた活動の中には、地域の方々に引き継がれ、今でも継続しているものもあります。「外から来た人間だからこそ旗振り役となり、地域の新たな変化を生み出すことができる」と実感したといいます。

しかし、活動がすべて順調に進んだわけではありません。都会暮らしが長かった中桐さんにとって、地域の方々と価値観をすり合わせるのは簡単ではありませんでした。

自分の活動を全員に理解してもらいたいと固執してしまい、それが果たせずに毎日のように泣いていた時期もありました」と中桐さん。悩みが深まり、「地域を離れたい」と思うこともありました。それでも彼女を支えたのは、「地球に配慮した暮らしを実現したい」という夢でした。

「今まで旅人のように暮らしてきたけれど、1つの場所に根を下ろし、自分の蒔いた種が芽吹き、育っていく過程を観察し続けたいと思ったんです」(中桐さん)

そこで、視点を変えた中桐さんは、「ないもの、理解されないこと」に固執するのではなく、「あるもの」に目を向けるようになりました。

「この土地にはきれいな水があって、田んぼがあって、自分の畑があって、空き家もある。人と人が助け合って暮らす営みもある。あるものすべてが宝物に見えました」と語ります。

そして、協力隊任期である3年目。
悩みながらも、任期後もこの土地に留まることを決めた中桐さん。ただし、そのためには仕事を作らなければなりませんでした。

自然と人が循環する、新しい暮らしの拠点「ソラノイエ」

協力隊時代に行った空き家調査をきっかけに、地域の空き家を活用したいという思いが芽生えていた中桐さん。日本の里山で自給自足の暮らしと収入を得ることを両立させる方法として選んだのが、ゲストハウスの運営でした。

「外に働きに出て、週末だけ自給自足するという選択肢もあったと思います。でも、自分自身が一つの土地に根を下ろして生きてみたいと考えたとき、暮らしそのものを仕事にできれば効率が良いと思い、やっぱり宿しかないなと思いました」と振り返ります。

世界を旅し、さまざまな暮らし方に触れる中で、自分自身に問いかけたのは「1度しかない人生で、自分は何を選ぶか」。その答えとして生まれたのが、「自分が生かされているものを大切にしたい」という想いでした。

東京で暮らしていた頃、中桐さんは「自分の力で生きている」という実感が持てず、知らない誰かに生かされているような感覚を抱いていたといいます。一方で、自然のサイクルを見ながら暮らす日々の中には「手触り感」がありました。

「自分を形作る食べ物や飲み物を自分で作る。自分を形作るものが、どこから来て、どこに行くのかを知っている。それが今ここで自分が生きている実感につながると思うんです」

そんな中桐さんの価値観が形となり、「ソラノイエ農村滞在型の宿」が生まれました。

「このソラノイエが、自然も人も循環する場所になればいいな」と語る中桐さん。

食べたものが土に還るように、訪れた人々がまた帰りたくなる場所でありたい。

訪れる人々を通じて新しい知識や情報がもたらされ、いわゆる限界集落に居ながらも多くの出会いや発見が生まれるーー、「好奇心を刺激する場になれば」という願いが込められています。

悩みや葛藤を乗り越え、多くの人々の暮らしに触れる中で学びながら、自分の理想を形にしていった中桐さん。彼女の暮らしを起点に、下呂市の山奥にある「ソラノイエ」では、今日も人と自然が繋がり、新たな物語が生まれ続けています。

 

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Editor's Note

編集後記

人との出会いから学び、自分の理想を実現するための糧に変えていく由起子さんのしなやかな力強さが印象的でした。都会の喧騒を離れ、自分を見つめ直したくなった時は、またソラノイエに遊びに行きたいと思います。

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