SUMIDA
墨田区
「もの」を必要としない時代の「ものづくり」経営。それが難しいのは容易に想像できる。
東京都墨田区でもここ10年ほどで9000ほどあった町工場の数は1/3程度まで激減。産業全体として暗雲が立ち込めていた時期は今でも続いている。
まさに、「下町ロケット」の世界。
その中で、墨田区のものづくりには想像とは少し違う町工場がいくつかある。そこは人が集まり、活気に溢れ、新しい「もの」が、作り出されている。
今回の取材で、「新しいものづくりの時代」に挑む3社に話を伺い、それぞれのアプローチと経営論をお伺いした。3社それぞれの実例を交えて、ご紹介しよう。
<目次>
1.印刷工場内にシェアオフィスで「地域とクリエイターのハブ」になる。 〜「co-lab墨田亀沢: re-printing」の場合 〜
2. とにかく「人」を大切に。〜「東日本金属」の場合 〜
3. 次世代型の「共有力」=「組織力」。 〜 「浜野製作所」の場合 〜
おしゃれな内装に、いくつかの大きなテーブル。そこで作業をしたり、ミーティングをする人々。そんな居心地の良い「シェアオフィス」を墨田区で展開するのは、なんと、”町の印刷屋”だ。
印刷屋さんがシェアオフィス?何の利点があるのだろう?とピンとこなかったのだが、社長の有薗悦克さんの話を聞いて、腑に落ちた。
そうか。ここは「地域とクリエイターのハブ」なんだ。
有薗さんは、大手企業からの出向先で経営チームに所属し、バリバリと仕事をこなす、エリートサラリーマンだった。そこから、家業である印刷屋「サンコー」を継ぐことにしたのが、今から約5年前。「家業がいよいよ傾いてきたのを目の当たりにして、”継がない覚悟”が持てなかった」のだという。
当時、悪化していた業績に加え、経営拠点であるビルのオーナーが倒産してしまうという危機にも見舞われた。引越しをするお金もなく、ビルを買収せざるを得なくなった。
しかし、今になって考えると、そのことが「サンコー」を大きく変えるキッカケとなった。
ピンチはチャンス。墨田区の助成金を活用して空いてしまったフロアを、「シェアオフィス」にすることにした。
そうして生まれたのが「co-lab墨田亀沢:re-printing」。
有薗さんはまず、このシェアオフィスにクリエイターやデザイナーを招いた。この拠点ができる前、墨田区のクリエイターにとっては集まれる場所がなく、印刷の発注先も分かりづらかった。
印刷屋がシェアオフィスをやれば両方の課題を解決できる。クリエイターにとっては、嬉しいこと尽くし。その利点を活かし場所を作った結果、現在は30名のクリエイターが所属している。
ただし、有薗さんの構想はクリエイター同士でただ”場所を共有する空間”をつくるだけでは不十分だと考えた。ここで気を付けなくてはいけないのは、さらに見つけた課題は1人1人のクリエイターが孤立して仕事をしていること。これでは本当の意味での「シェアオフィス」にはならない。
そこで、有薗さん自身がコミュニティ・ハブとなった。彼が人と人とを繋げ、さらに墨田区の仕事とシェアオフィスのクリエイターをつなぐハブになることで、地域、企業側、クリエイターが円滑に連携できる”通訳”となった。
これこそが、「サンコー」の成長の秘訣である。
「人と人をつないで、企画から制作まで、一貫して行える環境を作ったんです。何かが生まれれば、印刷機は回るでしょう?」
それが、有薗さんの考える「地域ハブとしての印刷屋のあり方」。
つくりたいものを相談すると、サンコーで制作出来るものでなくても「(近隣の)〇〇工場だったら、すぐに出来るよ!連絡しようか?」なんて、気さくにすぐ答えてくれる感じが、なんとも優しくて、頼もしい。
そりゃあ、人から信頼されるわけだ。
意外かもしれないが、実直に「ものづくり」を続けることで成長をしている町工場もある。その典型例が東日本金属株式会社。今も昔ながらの手作業によって、鋳造を行っている。
3代目の息子である小林亮太さんは、二十歳の時に、二代目で鋳物職人であったお祖父さんに弟子入りし、その職人技を受け継いだ。
昔ながらの確かな技術。昔ながらの手法。昔ながらの「ものづくり」。そこにイノベーションが起きるような工夫は一見ない。
では、なぜ「東日本金属」は、それでも町工場衰退の波に飲み込まれずに、業績を伸ばしているのか?
それはひとえに「人」を大切にしているからだ。
例えば、東日本金属では、いわゆる「下請け業者」のことを、絶対にそうは呼ばない。
彼らは「協力工場さん」という言葉を使う。
他にも昨年新設した工場に名前をつける際は、従業員が愛着を持って呼ぶことができるように、「投票」で名前を募集。実際に従業員の意見で「鋳交Factoryという名前がつけられ、みんな親しみを持って「チュウコー」と呼んでいる。
「どんな思いで鋳造を行うのか」
小林さんら経営陣のその実直な思いを、心の芯から大切にしている。
本当に”ちょっとしたこと”なのかもしれない。しかし、それが「一緒に仕事をしたい」と、社内外から思われるかどうかの明確な差別化ポイントだ。
その証拠に、ものづくり業界では若手職人不足が嘆かれる現在、東日本金属には、なんと20代が4名、30代が6名おり、実に従業員の半数が”若手”である。
もちろん、ベースには確かな技術がある。要である「鋳造」から、最後の「組立」まで、一貫して製品づくりが出来る。発注者の求めることを最大限に叶えるため、「協力工場」との信頼関係を積み上げていきながら新しい技術をどんどん取り入れ、技術を常に進化させている。
「人中心」とした経営とは、まさにこのことだろう。
「浜野製作所」と聞いて、「あ!あの!」と思った方も多いかもしれない。
そう。ここは、世界レベルで(!)急激に成長を遂げる、墨田区が誇る、町工場。社員は45名で新卒もここ最近は毎年3名が入社。『下町ロケット』の製作陣も下見に訪れ、天皇陛下の表敬訪問も受ける。
浜野製作所はどのようにして、そこまでの位置にたどり着いたのか?
その要因の1つに、2014年に完成した「Garage Sumida」にある。
浜野製作所はそこにIT企業やスタートアップ企業を工場内に誘致し、次世代のクリエイターたちが集う場所にした。
そのクリエイターたちが設計したものを、確かな技術を持つ職人達とが、同施設内で即、カタチにする。クリエイターと職人が目と鼻の先にいることによって、今までにないスピード感で「ものづくり」が行われる。今では、ここで起業をするクリエイターも少なくない。
工場内に、大型の3Dプリンターなどレーザーカッターなど現代の「ものづくり」に必要とされている機械が揃っており、職人達はそういった新しい機械にも柔軟に対応している。
まさに時代の最先端を走る町工場だ。
しかし、それだけではない。取材を通してわかったことは浜野製作所には時代の変化に対応し、自身の技術を磨き続ける社員が揃っている。そしてその秘訣になっているのが、「情報共有力」だった。
浜野製作所では、各人に配布されたiPadで、アプリ「Slack」を使い、パートやアルバイトも含む社内の全員が、社内のあらゆる情報にアクセスできるようになっている。なんと、会社の経営状況1円単位に至るまで、包み隠さず公開されているという。
浜野製作所で製造分野を仕切っている長島弘明さんは、「それはもう(やりがいが)全然違いますよ!」と、満面の笑みで教えてくれた。
現在は、もらった図案をそのまま製品化する単調な職人作業をすることは、ほとんど無い。
クリエイターと直接「ものづくり」についてやり取りをして、「どうしたら良いものができるか」をプロジェクトチームで話し合いながら、その技術をもって、実現していく仕事がほとんどだという。
クリエイターと職人が、お互いの技術力を持ち寄ってコラボレーションし、製品を生み出していく。これも、浜野製作所の誇る「共有力」の一つ。
そうすると、会社の業績や、作った製品が誰に届き、どのような評価を受けているのか、というところまでが、従業員1人1人にとって「自分ごと」になる。何か問題点があれば、自発的に業務を改善していき、結果的に1人1人の技術力や能力が向上する。
だからこそ、この「共有力」はダイレクトに「組織力」に繋がっていくのだ。
確かな技術力 × 共有力=組織力。この方程式が、浜野製作所を世界レベルの町工場へと、導いている。
「どうやって生き残るのか」と記すると「競争」なイメージがつきまとうがそれは間違っている。今回取材した墨田区の3社の町工場には、そんなものは一切感じなかった。
「競争」ではなく、「共創」へ。
3社からはいずれも、みんなで一緒につくっていこうよ!という明るいワクワク感を感じた。
しかし、そこに甘さや妥協は一切無い。あるのは、会社として数十年培った技術を基盤とした、プロフェッショナル同士の真剣なやり取りだ。
「確かな技術」という土台の上に、コミュニティ・ハブを形成し、人を信頼して「共創」していく。
「もの」を必要としない時代に「ものづくり」で成功している3社に共通しているのは、時代や人の心を上手く捉え、周囲と調和して、一緒に大きくなっていく、という前向きで明るい姿勢だった。
・日程:11月17日〜18日
・費用:無料(ツアーは一部有料)
詳細はこちらから
http://sumifa.jp/
Editor's Note
これからの時代に必要なこと。それをこの墨田区の「ものづくり」の世界が、あたたかくやさしく、教えてくれた気がした。
RIE HAYASHI
林 理永