TOKYO
観光
「この人の人生が気になる!」そんな旬なゲストと、LOCAL LETTERプロデューサー平林和樹が対談する企画『生き方 – 人生に刺激を与える対談 – 』。
第12回目のゲストは、「訪日外国人旅行者にとっての『手の中の旅行エージェント』」を目指す「WAmazing株式会社」で代表取締役を務める加藤 史子さんです。
加藤さんが代表取締役を務めるWAmazing株式会社では、インバウンドプラットフォームのサービスを中心に事業展開を行っています。
そんな加藤さんがお話されたのは、事業を立ち上げるまでの「現実的な起業背景」や「30億円超を集めた資金調達の裏側」について。「踏み出したいけど、勇気が出ない」そう考えるアナタの、そっと背中を押す力強い言葉をお届けします。
平林:今回はずっとお話ししたいと思っていた加藤さんに、突撃アプローチさせていただきました。
加藤:ありがとうございます。「WAmazing株式会社」の代表取締役を務めています、加藤史子です。事業内容は、主に訪日外国人旅行者向けのワンストップで日本旅行の手配が簡潔できるオンライントラベルエージェント(OTA)のプラットフォームサービスを提供しており、インバウンドの面から日本国内の経済活性・地方創生支援を行っています。
スタートアップベンチャーの経営者として7年前に創業しましたが、観光と地域創生に関心をもったのは、遡ると15年前ほどになります。
平林:15年も前からなんですね。
加藤:そうです。リクルートに新卒で入社後にじゃらんnetなどの立ち上げに携わり、出産後、職場復帰するときに、自分や会社の利益だけではなく、子どもたちがこれから生きていく未来の日本社会に貢献する仕事はないかと考えたのが、観光や地域活性などに関心を持ち始めたきっかけです。
社内異動した2008年頃は、ちょうど国が観光庁というツーリズムに特化した省庁を立ち上げた年でした。じゃらんnetで仕事として旅行に携わってはいましたが、「国の政策にするほど日本の未来のためになるんだ」と初めて強く感じましたね。そこから退職まで約9年間、じゃらんリサーチセンターにて、観光と地方創生に関する事業開発や研究を行う研究員(後半は、主席研究員)として勤務しました。
じゃらんリサーチセンターの研究員としての仕事には、様々なものがありますが、特に印象深いのは、「雪マジ!19」(19歳を対象に全国約160のゲレンデでリフト代が無料になる企画)を立ち上げるなど、日本国内の若者に向けて、地域の魅力や旅行の楽しさに気が付く原体験を提供し、将来の旅行市場を拡大するプロジェクトです。時間はあるけどお金はない、そんな若者たちに、彼らの持つ豊かな時間と好奇心と体力を使って地域魅力に気が付いてもらい、中長期的な国内旅行市場の拡大と地方創生につなげようとの想いでした。19歳だけリフト券が無料、その後、温泉無料、Jリーグ観戦無料、ゴルフ練習やプレーが無料、マリンアクティビティが無料など、次々と各業界の若者需要創出プロジェクトを立ち上げ、それを「マジ部」としてアプリにまとめて、若年層を旅行好きにするという取り組みを行っていました。
平林:「雪マジ!19」はとても有名でしたね。僕自身、長野県出身でスキーやスノボが大好きだったので印象に残っています。
加藤:若い人は時間も柔軟性もあり、好奇心に溢れています。だけどその世代ってお金がないのがネックですよね。それだけの理由で地域の魅力が知れないのは、もったいない。地域にとっては、生涯を通じた地域ファンを失うような損失ですし若い人の、その先の人生という個人の人生観点でみても損失なんです。事業者側にとっては通常は有料で提供する顧客サービスを年齢を限定したとはいえ無償提供をお願いするということで、事業者側には無理を言いましたが、毎年、何十万人もの若者が「マジ部」を使って、豊かな地域体験や観光・レジャー体験をしています。私が退職した後は、引き続き、リクルートがサービス提供者となって、雪マジなど、もう丸12年続く取り組みになりました。
平林:そこから独立、とつながっていくわけなんですね。
加藤:私が大学卒業した時には、自分の興味のあることで社会を良くするような大きな仕事をするための選択肢というのは、大企業への就職のみでした。しかし、新卒から20年近くたって社外を見渡すとかつてはなかった「スタートアップ起業」という選択肢ができて、盛り上がっているなと感じました。例えば、25、6歳の若者が「何億円の資金調達をしました」というようなプレスリリースを出しているわけです。単純に羨ましかったし「(社会人経験を長くつんできた)私にもできるんじゃないか」と思ったのが1つのきっかけです。
リクルートというのは、常に若い世代が活躍する会社です。創業60年以上たって数万人の社員がいるにもかかわらず、今まで定年退職を迎えた人は数えるほどだそうです。私も、40歳が近づいてくるにつれ、「主役を若い世代に渡していかないと」という気持ちになりました。また、地方創生に寄与したくて「マジ部」などの日本国内の若者向けの施策をしていましたが、少子化による人口減少スピードには敵わないという焦りもありました。
そんな時に今後の交流人口のボリュームゾーンはどういった属性かを考えたときに、外国人旅行者の存在が浮かびました。それに気づいたときに「一念発起して、会社を辞めて、インバウンド事業を核にスタートアップ起業しよう」と思い立ったんです。当時、私は管理職ですから、同じ課のメンバーのうち4名が「一緒にやりたい」と言ってくれて、大企業での安定と高年収を捨てて一緒に独立してくれました。私も含めた5名の共同創業メンバーはコロナ禍の苦しい時期も含めて、創業後、丸7年以上たった今も未だに1名も辞めていません。2016年6月30日に有給消化もしないままリクルートを退職して、翌日の7月1日にはWAmazingを創業しました。
平林:WAmazingを立ち上げようと思ったのは、日本を大局から見たときに「未来がどうなるか」という視点からスタートしたんですか?
加藤:そうです。1つのきっかけが出産でした。育児は想像以上に大変ですが、自分の遺伝子を持つ子どもたちは自分が死んだ後もこの社会に生きていく、という自分の未来に対する責任が延長されたような感覚があったんです。
もし仮に私が現代日本女性の平均寿命80歳超まで生きると、子どもたちは50歳台ぐらい。人生100年時代に50歳はまだまだ若い。さらに彼らに子どもがいれば、それ以上に続いていく。そう思った時に、日本の未来が他人事じゃなくなったんです。20代で培った、じゃらんnetなどのインターネットでの事業開発経験を活かし、未来の日本社会に貢献できることがあるなら、幼い子どもを2人育てながらの会社員生活は決してラクではありませんでしたが働き続ける価値があるなと思いました。
加藤:子どもが生まれてから、いくら仕事が好きであっても、例えば保育園に預けるときに泣いてる子どもを置いていったり、朝、発熱している子供を、なんとか手配したシッターさんや両親にお願いして仕事にでかけるというのは、罪悪感があるものです。会社の利益と自己成長のためだけに取り組む仕事では働き続けるモチベーションが維持できそうにないな、と感じて、何か社会にも貢献できる仕事に携わりたいと思いました。そこで出会ったのが、観光と地方創生に資する事業開発を行う、じゃらんリサーチセンターでの仕事でした。そして、この仕事をライフワークにしたいと心が決まり、独立・起業するにいたりました。
平林:その年代で起業にたどりつくのは、また別のエネルギーが必要そうですね。
加藤:そうですね。でも40歳が近づいてくると、新卒から18年以上、同じ会社で様々な経験を積ませていただいて、もうこれ以上は、ここにいてはいけないのではないか、そんな「心の定年」みたいな気持ちになったんですよね。必死に働いてきたからこそ、とも言えると思いますが。
平林:もうやりきったという気持ちでしょうか?
加藤:そうですね。私は、もともと社長になりたい、なんて気持ちは一切ありませんでした。ただ、有名な漫画もあるように、出世の階段を昇って行って、最後には社長になることがサラリーマンの夢、みたいな価値観があるのも理解していました。会社員として勤め続けるならば、そういうゲームルールの中で勝ち、社長になるべきなんじゃないかという気持ちも少しありました。あまり興味はありませんでしたが、ゲームをするなら、優勝しなくては、みたいな気持ちでしょうか。ただ、私が退職を決心する頃には、ほぼ同年代の次期社長候補というような方もいましたし、自分の今後の職業人生を使って、勝ちにこだわりたいゲームルールでもないなと思っていました。私が、本当にやりたいことというのは、既存組織の中で出世することではなく、自分で新しいゲームルールをつくり、事業をつくり、社会に貢献することなんです。だから、「もう、サラリーマン社会のゲームルールの中で戦う必要はないんだ」と思った瞬間、「自分で資金調達してスタートアップ起業できるのではないか、やってみたい、挑戦してみたい」という気持ちになりました。
加藤:社会を変えるような大きな事業を作り上げるにはお金だけじゃなくて人も必要じゃないですか。しかし、大企業の巨大組織の中での新規事業担当には、人事権も採用権もありません。せいぜい他部署から人を口説いて異動してきてもらう、とか、今いるメンバーを評価査定するぐらいの権限です。採用権限は基本的に人事部にありますし、人事部は経営方針に則って動いています。だから私がやりたい事業に人材を差配してくれるかどうかは、経営方針によります。そうすると、大企業の中で、理想とする事業をつくりあげるには、やはり社長とか役員にならねばならない。しかし「独立したら自分自身の責任と裁量でお金も人材も集められる、なんて、自由で素晴らしい挑戦、そして、私だったらできる気がする!」という自信と予感で起業を考え始めました。
平林:ある種、現実的な選択だったんですね。
加藤:現実的な選択でしたが、当然、怖さもあるし迷いもあるので、起業まで、1、2年間ぐらいは悩んでいた気がします。
平林:起業のイメージとして、夢やビジョンがあって起業に突き進むイメージがあるじゃないですか。その点、加藤さんの起業への道筋は、現実的だなと思いました。
加藤:起業を考え始めたのが38歳くらい、40歳で独立をしました。40歳の時は、下の子どもが小学1年生になるタイミング。守るものが多い大人だったからこそ、ビジョンや夢だけで独立することはあまり考えていなかったです。もちろんビジョンや夢は一番大切なんですが、本当にできるのか、どんな戦略でやるのか、具体的に緻密に考えていました。
平林:2年ほど構想をかけて、起業したという流れですよね。
加藤:はい、具体的な事業戦略や構想は1年くらい考えていたと思います。私にとっては起業は手段だったので、リクルート社内でやれるなら、それでもよかったので、独立前には、念のため「リクルート社内の新規事業コンテスト」にも提出しました。で、ちゃんと書類で落ちたんで、よし、堂々と起業して自分でやることにしました。(笑)
平林:起業をされてからは、どういった道のりだったんですか?
加藤:共同創業メンバーは5名。リクルート時代の年収の半額以下にして、一生懸命、日々事業を開発していました。しかし、事業を大きくするためには、人材採用が不可欠です。そもそも、共同創業メンバーの中にエンジニアはおらず、ITプラットフォームの会社なのに、作る人がいませんでした。(笑)なので、まず、資金調達ですね。自分たちは創業者だから給料が半分になっても文句言えませんが、優秀な人材を採用するのに現職の半分の給与提示では誰も来てくれません。人材採用し雇用するための資金が必要でした。
2016年7月に創業したWAmazingは2017年2月にサービスを提供開始し、大きなベンチャーカンファレンスのピッチコンテストで複数回、優勝し、第1回目の調達で約10億円の資金調達を行いました。
平林:10億……!
加藤:当時、好景気が続いていて、スタートアップも盛り上がっていましたし、インバウンド市場もすごい勢いで伸びていました。第2次安倍内閣のもと、ビザの取得要件の緩和も追い風になって、インバウンド(訪日外国人)の増え方がすごいタイミングだったんです。
他のスタートアップにも億単位のお金が集まってくるようなタイミングで起業したので、外部環境というラッキーも重なったと思います。
平林:そのとき、プロダクトはすでにあったんですか?
加藤:資金調達をしたタイミングでは、プロダクトは「最初の1歩」をリリースしただけでした。企画書だけで10億円もの資金調達できる世界ではないので、WAmazingは、B(日本国内の観光事業者)とC(訪日外国人旅行者)をマッチングするプラットフォームサービスですので、まずは、C(訪日外国人旅行者)集めからスタートしようと考えました。それが、国内の主要国際空港での無料SIMカードの配布です。
「訪日外国人旅行者が日本旅行中に困っていることは何だろう」と考えていたのですが、観光庁のアンケートでは、「フリーWifi環境の少なさ」が1位でした。日本は世界に先駆けて、iモードなどのモバイルインターネットが隆盛し、キャリア各社が「パケ放題プラン」みたいな価格設定を打ち出していたので、日本人にとっては街中にフリーWifiがなくても、何も困らなかったのです。それが結果として日本を「フリーWifi後進国」にしていました。
困っていることやニーズがあることを無料で提供すれば人が集まる、というのはリクルート時代の「雪マジ!19」ですでに知っていたので、そこから構想を立て始めました。
加藤:人はいらないものは半額でも無料でもいらない、必要なものを無料にしないと意味がない、と考えました。また日本は島国なので、日本に入国する外国人は空港もしくは海港経由になる。データをみると実に97%が空港経由でした。日本には100程度の空港施設がありますが、当時、国際便が定期就航している空港は30程度でした。中でも、成田、羽田、中部、関西という4つの主要国際空港は大きなシェアを持っています。そこで、成田空港で、24時間、自動で無料SIMカードを配布するマシンを設置してみることからサービスを提供開始しました。資金調達する前に出場したベンチャーカンファレンスでのピッチコンテストには「毎日何百人が成田空港の無料SIMマシンの前に集まっています」という景色のインパクトで、まずはカスタマーである訪日外国人旅行者をピンポイントに集客することに成功したことを印象づけたかったのです。
平林:僕も起業当初、いきなり地域や社会に飛び込んだことがありますが、最初は実績も人脈もない、ということで相手にしてもらえませんでした。そこからLOCAL LETTERというメディアをはじめて。読者を1万人集めた状態で実際に話していくと、話を聞いてくれて。そこから一気に話が進んでいきましたね。
加藤:実績がある状態だと、話がポンポンと通りますよね。人間関係もそうですがビジネスも基本的には、ギブ&テイクなんです。何も相手にギブするものがない状態で、こちらの要求だけを伝えにいっても、企業も自治体さんも、まともに取り合ってはくれません。
平林:まさにその通りです。
加藤:だから「あなたがほしい顧客(インバウンド旅行者)がWAmazingには集まっています」という風にまずは自分が相手にギブできるものを伝えていくのがいいんですよね。相手が欲しいものがここにあるってわかってもらえれば、「じゃあ話聞いてみようか」となるんです。私たちの場合、最初に話を聞いてくれたのが、成田空港さんでした。
平林:おー。最初が成田空港さんだったんですね。
加藤:はい、やはり最大手からアプローチするべきです。成田空港さんの担当者さんはじゃらん時代から知っている方だったので、まず相談をもちかけました。そうしたら、「自分にはどうすることもできないが、こういう面白い新規事業に興味関心を持ちそうな役員を紹介したい」と会議をセッティングしてくれたのです。当時は、起業して2週間も経たないときだったので、まさに創業直後、印刷したての、はじめてのWAmazingの名刺を持って会議に臨みました。
「資本金300万円だけどどうするの?」と聞かれて「はい、これから増資いたします」、「スタッフ5名だけどどうするの?」「はい、増資した後、その資金を元に新しい人材を採用します」、「この無料SIMカードを配る機械はどうやってつくるの?」「はい、増資した後にエンジニアを採用してつくります」と、「ないないづくし」で会話をしたのを覚えています。(笑)結局、その役員の方は私たちの夢物語を信じてくれて、WAmazingがこれから作るだろう無料SIMカード配布マシンを成田空港に設置する許可を社内の経営会議で通してくれました。何もない、創業直後の私を信じてくれた、まさに恩人の1人です。
加藤:最初は、SIMカードを提供するための機械も手づくりだったんです。タスポ対応以前の古い型番の、しかし真新しい(新古車のような)たばこの自販機を中古で購入して、電気屋さんで買ったモニターをくっつけて1台、100万円ぐらいで制作しています。通常のたばこ自販機はお金を入れるとタバコが買えるのですが、訪日前の旅行者がWAmazingのアプリで無料SIMカードを予約するとQRコードが出てくるようにして、そのQRコードをかざしてタブレットで読み取り、サーバー通信して、SIMが落ちるようになるように改造しました。
平林:それはすごい……!
加藤:皆さんに種明かしすると、とても驚かれますね。(笑)板金でデザインしているので、制作費はもっと高く見えるようです。こんな手作り感満載で100万円程度で作っているようには見えない、と。これを最初の外部資金調達の前に行い、そのための資金は共同創業メンバーによる資金です。
無料のSIMカード配布マシンのプレスリリースを英語で作り、香港や台湾のメディアに取り上げてもらいました。無料はかなりインパクトがあったようで、SNSでも拡散されました。マシンを設置した初日から200名以上の人が無料SIMカードを入手しました。最初のユーザーマーケティングの成功、それが、サービス開始後、たった2週間後のベンチャーピッチで優勝することにつながりました。
インバウンド市場拡大という追い風もあり、資金調達をこなしながらも順調にプロダクト開発を進めていた加藤さん。後編記事では、コロナ禍の逆境から感じた気づきと加藤さんが人と関わる上で大切にしていることについて迫ります。
Editor's Note
加藤さんのお話をうかがって、これまでの経験とご自身がしたいことの掛け合わせをしながら、起業を決心されたのだと感じました。事業のスタートがたばこの中古の自販機だったのは驚きですが、やりたいことを着実に進めていく加藤さんのひたむきさに強く心を動かされました。
MISAKI TAKAHASHI
髙橋 美咲