地域おこし協力隊
今回取材したのは長野県辰野町の元地域おこし協力隊、北埜航太さん。
北埜さんは、2019年7月から2022年6月までの3年間、地域おこし協力隊として活動し、現在は辰野町に拠点を置きながら、さらにエリアを広げてまちづくりに携わっています。
「自分にはふるさとがない」と感じ、ふるさとへの憧れを抱いていた学生時代。
“あるきっかけ” から辰野町と出会い、辰野町での地域活動を今日まで続けてきた北埜さんに、これまで取り組んできた活動内容や、地域への想いを伺いました。
北埜さんが長野県辰野町と出会ったのは、大学時代。
東京で生まれ育ち、高校までは「地域」をそこまで意識したことがなかった北埜さんでしたが、大学進学で「地域」や「ふるさと」に憧れを抱くようになったといいます。
「大学には愛媛とか京都とか沖縄とか、全国から通ってくる友人がいて、彼らって夏休みに帰省するじゃないですか。みんなには、帰る場所・ふるさとがあって、すごく羨ましいなって。その頃から、ふるさとに憧れを持ちました」(北埜さん)
政治学部で、地域活性化に関する勉強もしていた北埜さんは、あるとき「ソーシャルキャピタル(社会や地域における人々の信頼関係や結びつき)」という言葉に出会い、研究テーマとしても興味を持つようになりました。
「家族が3世帯で近所付き合いがあって、悪いことをしたら近所のおじさんに怒られる、サザエさんのような世界観っていうんですかね。そういう家族の延長線上に地域があるのっていいなと思ってたんです。
そんなときに、『人と人との繋がりも、地域の財産のひとつ』だと捉える研究テーマ(ソーシャルキャピタル)があることを知りました。ソーシャルキャピタルが豊かな地域はまちづくりや政治参加率も高く、地域活性化という点においても、人の関係性が重要だと言われていて。
ただ、繋がりは目に見えませんし、抽象的な学問なので、現地に行かないとわからないなと思うところもありました」(北埜さん)
そこで実際に地域に足を運び、学ぶことにした北埜さん。議員さんと一緒に地域を回り地域課題のヒアリングをする「議員インターンシップ」や、地域での実践型インターンシップ「地域ベンチャー留学」プログラムにも参加。
この「地域ベンチャー留学」に参加したことが北埜さんと長野県辰野町の出会いでした。
「地域ベンチャー留学は、プログラムが始まる前に20~30の地域が集まる合同説明会があって、そこに参加したんです。当日はスーツや法被を着た行政の担当者さんが多かったんですが、長野県辰野町だけは私服で、しかも民間の方が来ていて。うちに来てください!と宣伝するのではなく、『あなたは何がしたいの?』と参加者を大事にするコミュニケーションをされている姿が印象的でした。
辰野町が地域ベンチャー留学で実施しようとしているテーマ(未来志向でまちづくりをする信州フューチャーセンターをつくる)も面白そうだと思い、辰野町を選びました」(北埜さん)
1ヶ月間の地域ベンチャー留学では、信州フューチャーセンターのWebサイトを制作。北埜さんは、主に場所の役割や価値を伝えるためのコンセプトづくりを担当しました。
とはいえ、「1ヶ月でできることは限られていて、すぐに終わってしまった」ことから、もう一度地域ベンチャー留学に参加。2回目は、プレイベントの開催や、地元の人に愛着を持ってもらうための企画づくりなど、実際に場を作る活動に取り組みました。
「場の価値を翻訳したり、伝えたりすることが、自分の居場所としても心地良かったし、役割としても楽しかった」と北埜さんは当時を振り返りながら、穏やかな笑顔で楽しそうに話します。
地域ベンチャー留学を通して、「地域で活動するときは、何か自分の役割やスキルがあったほうがいい」と感じた北埜さん。大学卒業後はPR会社に入社し、1年半ほど経験を積みます。その後Webメディアの会社へ転職。
1年弱経った頃に、「いつか戻りたい」と思っていた辰野町で地域おこし協力隊の募集があったといいます。
「地域ベンチャー留学の受け入れ企業の方から、『新しく里山エリアの旅館運営をするにあたり、コーディネーターとして地域おこし協力隊を募集する話があるけど、興味ない?』と連絡をいただきました。
自分としてもWebメディアの会社に入ったものの、入ることが目的化してしまっていて、入社後に自分が伝えたいテーマって何だろうと悩んでいたときで。お話をいただき、フィールドを持って現場から発信していくのも良いかもなと思ったんです」(北埜さん)
こうして2019年7月、辰野町の地域おこし協力隊に就任した北埜さん。
辰野町川島地区にある宿泊施設「かやぶきの館」を拠点に、1年目は地域の取り組みやプレイヤーを取り上げて発信するローカルメディア「かわしま地域新聞」制作に取り組むことに。取材を行う中で、よく耳にするようになったのが地域の課題でした。
「家の畑を誰かに使ってほしいとか、空き家に困ってるとか、毎月地域の難しい課題が出てくるんですよね。どれも自分一人で解決できる話ではないけど、自分が学生のときに地域活動にワクワクしたように、都市の人にとっては、この地域課題がコンテンツになるのではないかと考えました」(北埜さん)
そこで2年目は、地域のお困りごとをお題にして、課題解決に取り組みたい人を地域外から募集する「川島お困りごとtrip」を企画。主に東京の学生コミュニティと共同する形で、3ヶ月間地域の課題ヒアリングから、アイデア出し、実行までの一連を行い、関係人口創出に貢献しました。
3年目は辰野町が民泊サービスを提供するAirbnbと提携したことで、町全体の関係人口の幅が広がった年。北埜さん自身も「自分も受け皿になりたい」と、住んでいた古民家をゲストハウス「Cominka おいと間」として開くことに。
こうしてあらゆる手段で、都市と地域、人と人との関係性のデザインを行ってきた北埜さん。
活動の変遷をお聞きする限りでは、とても順調に進んだ地域おこし協力隊の3年間だったのではないかと想像してしまいますが、立ち止まったり、悩んだりすることはなかったのでしょうか。
「自分は業務委託契約で兼業も許可されていて、とても自由度の高いスタイルで地域おこし協力隊の活動をさせてもらいました。
ただ自由がゆえに、最初着任したときには、カレンダーが全然埋まっていなくて、何しよう…みたいな不安もありましたね。ミッションも自分に委ねられている部分が大きかったので、自分に何ができるのか、何がしたいのかと、自分と向き合うことが一番辛かった。
一般的に会社では与えられた仕事をするのが基本ですが、自分でやることを見つけたくて辰野町に来たはずなのに、いざその環境に置かれると辛さがあって。この気持ちと向き合うのが大変でした。
とはいえ、最終的にまずは自分ができること、自分が役に立てることからやっていきました。その結果、今があるんです。今もまだ乗り越えている途中ですけどね(笑)」(北埜さん)
地域おこし協力隊の任期中、関係人口をつくるミッションに取り組んでいた北埜さんは「もう少し広い視点で地域の持続可能性を考えるために、エリアを広げて活動したい」と思うようになります。
地域おこし協力隊卒業後は、辰野町でゲストハウスを続けつつ、ライターや編集など言葉を軸にした個人事業に加えて、県主導の「くらしふと信州(ゼロカーボン社会共創プラットフォーム)」のコーディネーターや、長野県立大学のソーシャルイノベーション創出センターで学生たちの地域活動を後押しする地域コーディネーター、長野県の関係人口を増やす信州ふるさとコーディネーターとして活動しているといいます。
エリアも活動の幅もどんどん広がっていく北埜さんですが、すべての仕事に通ずる軸は、一体なんなのでしょうか。
「地域の持続可能性を考えることが、一つの軸だと思うんですけど、その土地の風土ごとに持続可能性の形って違うと思っていて。辰野町だと、戦後すぐまでは山から木を切ってきて炭にしたり、使った炭の灰を畑にまいて野菜やお米を収穫して、自給自足したり。そういう、地域ごとにいろんな持続可能な営みがあって、結果的にその土地らしい景色や景観ができるわけで、それが地域の個性だと思うんです。
『その地域らしい持続可能性とは何か』が大きなテーマなので、人もコミュニティも、経済面も、そしてそれらのトータル面からも、持続可能性を考えていくことがしたいんです」(北埜さん)
持続可能性ーー。数年前から日常生活の中でもたくさん耳にするようになった言葉ですが、北埜さんがみている視点は “ありきたりな言葉” とは違います。
「サステナビリティ(持続可能性)とかSDGsの概念は海外からきたもので、僕らは当たり前のように海外のスタンダードに合わせようとしてしまうんですが、僕が地域に住んで学ばせてもらったのは、持続可能性は既に自分たちの足元にあるよねってことでした。
その地域で昔から続けられてきた営みを掘り起こしたり、見つめ直して、どう現代と再接続できるのか。そういう文脈を繋ぎ直すことをやりたいと思います」(北埜さん)
ふるさとへの憧れから始まった地域での活動。辰野町という地域と出会い、「ふるさと」と呼べる場所ができた北埜さんにとって、ふるさとってどんな場所?と聞いてみました。
「これは友人のソーシャルバーPORTOのオーナーの言葉なんですけど、居場所には『よりどころ』と『やくどころ』があるらしくて。『よりどころ』は、何ら生産的な活動をしなくても、ありのままでいられる居場所。『やくどころ』は、自分だからこそ貢献できる何か役割のある居場所。
『よりどころ』はベースとして必要だけど、それだけでは発展がない。『やくどころ』もあるから、ふるさとに貢献して、よりふるさとが好きな場所になる。この相互作用のある場所が、自分にとってより居心地の良いふるさとではないかと思っています」(北埜さん)
最後に、今後の展望についても伺いました。
「今、里山エリアに住んでいますが、空き家にしろ農地にしろ、到底自分たちだけでは使いきれない余白がある。学生時代の自分と同じように、ふるさとが欲しいと思っている人たちと、この余白を共有したいと考えています。
移住しないといけないわけではなく、関わりしろのグラデーションがあっていい。2拠点の場所として、たまに古民家に遊びに来たり、畑を少し手伝ったり。お祭りの時だけ来るのもいいですよね。
地域へのいろいろな関わり方をつくることで、みんながふるさとを持てるようになったらいいなと。今後は、ゲストハウスだけでなく、シェアハウスや2拠点居住のプランもつくっていきたいと考えています」(北埜さん)
地域との関わり方も、まちづくりへの携わり方も、人それぞれ。
まずは自分ができることから始めて、アナタもふるさとと呼べる場所をつくりませんか?
Editor's Note
まちづくりや地域活性という言葉が示すものはなんだか大きくて、その中で自分のやりたいことは何だろうと考えてみても、なかなか見つけられずに苦しむことがあると思います。
でも、北埜さんのまずは自分のできることをやっていきながら、やりたいことを描いていく姿、そして「今もまだ乗り越えている途中」という言葉には、大きな勇気をもらいました。
地域と一途に向き合い続けることの大切さも、教えていただいたように思います。
CHIERI HATA
秦 知恵里