仕事術
今、日本では人口に占める高齢者の割合が増加する「高齢化」と、出生率の低下により若年者人口が減少する「少子化」が同時に進行する少子高齢化社会となっています。約50年後までに、65歳以上人口はほぼ横ばいで推移する一方で、20歳から64歳の人口は大幅に減少し、高齢化率は10%程度上昇することが見込まれています。
そのため、全国の自治体間で人口の奪い合いが行われているのが現状です。「子育て世代には〇〇万円支給します!」のようないわゆる「ばらまき」にも似た方策を進める自治体も見受けられますが、果たしてそれでずっと暮らし続けたいまちに選ばれることができるのでしょうか。
そうしたニンジンをぶら下げて人を釣るようなことをせずとも、人口を着実に増やしている市があります。
母になるなら、流山市。父になるなら、流山市。
強烈なインパクトと説得力のあるこのキャッチコピーをご存じでしょうか。
人口は過去15年間で1.24倍、10歳未満の人口は約1.5倍に増加している千葉県流山市の代名詞ともいえるのが前述したキャッチコピーです。親として素敵な母、父になりたい。誰もが願うそんな心をくすぐるコピーで、人口増につなげていった立役者のひとりが流山市マーケティング課の河尻和佳子さんです。
河尻さんは民間から流山市に任期付職員の広報官として転職し、以来10年以上プロモーション活動に従事してきました。その中の取り組みの一つが先のキャッチコピー。この言葉の誕生秘話を伺うと、自治体によくありがちな「子育てするなら~」というワードを使わないことに拘ったと言います。
「子育てするならをはじめ、提案いただいたコピーはたくさんありましたが、子育てするならにしなかったのには理由があって、母や父だから子育てだけをしなければいけないと決めつけることは多様性を阻害してしまうと思ったからです。子育てをしながらでも、夢を追い続けてもよくて、子育てだけがフォーカスされるのは違うかなと」。
“全体を俯瞰で見ることができ、かつ他者のことを常に考えベストな答えを出す完璧な人間。誰に対しても批判をせず、比較も否定もしない。そして他者の良さを見出す力に長けている――”
と、筆者が勝手に妄想している河尻さん像ですが、本人は「ただの世間知らずだった」と謙遜します。
「前職でいろんな考えを持った人が世の中にはたくさんいるんだ、ということを学んだんです。例えば、何かの対価として料金を払うのは当たり前のことかもしれません。でも支払いができない人というのはいて、その人の背景や言い分というのがある。今思えば恥ずかしいですが、仕事をするまで世の中の当たり前のことしか知らずに生きていた。でも人それぞれに置かれている環境や考え方は多種多様であって、自分の考えを押さえつけるのではなく選択の余地を残すことが大事だということに気が付いたんです」。
最初から完璧な人はいない。弱みがあって然るべき――。
これは『まち』に置き換えても同じことが言えるのかもしれません。
公平性、スピード感、内部調整……。行政業務の中で様々な弊害があったとき、それを乗り越えるために必要なのは「住民のチカラ」ではないでしょうか。とは言え、住民が自発的にアクションを起こすなどそう簡単にできるものではありません。
例えば、路上にゴミが落ちている。それを見た人は2つのパターンのアクションを起こすと仮定します。
2の人は、誰かがやってくれるだろう、自分がやらなくても関係ないし、と思う人。一方1の人は私が捨てないと、まちが汚れてしまうと思いながらゴミを拾う人でしょう。
このゴミをまちの厄介ごとだと置き換えてみるとどうでしょうか。行政ができないことを「面倒だから」とやらない人は、行政がやってくれるだろうと思っていて、まちや行政に関して他人事になっています。しかし自分の暮らすまちが好きな人は「私がやらないと」と思う自分事・当事者意識、シビックプライドが醸成されていると考える。この仮説が正しいかどうかは「ムクドリ」を巡る動きにヒントがありました。
「流山おおたかの森駅周辺に大量のムクドリが発生したんです。でもムクドリは鳥獣保護管理法で保護されているので駆除してはいけない。鳴き声や糞などの被害に対して行政としてできることは最大限やりつつも、ずっと現地で見守るのは無理があります。でも、住民の皆さんが自発的にその課題を解決しようと立ち上がって、駅周辺から影響の少ない他の地域に逃がす取り組みを『ムク活』と名付けて行うようになりました。指をくわえて誰かがやるのを待っているのではなく、やれることは自分たちでやろう!と思う市民の皆さんに行政が助けられているんです」と話す河尻さん。
一方、新型コロナウイルスの影響で飲食店が深刻な経済的打撃を受けるなか、何とかしようと市民がテイクアウトマップアプリを開発。現状を改善しようとプログラムが得意な市民がスピーディに作りあげ、瞬く間に広がりを見せ、最終的にそのアプリの補助を流山市ふるさと産品協会が行うようになりました
「行政はどうしても公平性が保たれなければならないという課題があります。今回のコロナで、市内の飲食店の皆さんが困っているとしても全てのお店を公平に紹介することは難しいですし、市民のニーズに対してのスピードも求められます。また、アプリを開発となると行政ではなかなか難しいですが、市民が力を合わせ、得意な分野の人たちがオンライン上で集まり、やり取りをして形になったのがテイクアウトアプリ。提供されている元のアプリのコンテンツを拡張すると有償になってしまいますが、その有償の部分を流山市ふるさと産品協会でサポートし、PRの部分を市がお手伝いする形になっています。。つまり、行政の弱みを市民が解決してくださり、そのバックアップを市が行う流れになっているんです」。
行政や自治体の中には、課題を見せたがらないところも。「こんなに凄いことをしています」「こんなに成功しています」だけではなく、もっと弱みや隙間を見せていくべきだと河尻さんは話します。
「情報をオープンにすることが大事で、ネガティブなところや隙間も見せていく。流山市の魅力は「不完全なまち」であることなんだと思っていて、その隙間を埋めていきたい、自分のチカラで何とかしたいと思える余地があることって実はすごく重要なポイントで。何でもかんでもおぜん立てするのではなく、まちも市民も成長していくということなんだと。市民から「まちって人事みたいだね」と言われたことがあって、まさにそうだなと思いました。採用にお金をかけて雇っても、成長させなければ投資が無駄になってしまう。ビジョンを明確にして同じ方向に向いて歩んでいくことは、人もまちも同じことなんだと感じています」。
まちと一緒に成長したいと市民が思えるような基盤づくりや仕掛けを積極的に行う河尻さん。他の自治体がうらやむほどのスピード感と質の高さ、人を巻き込む力に圧倒されます。
市民が我がまちをプレゼンし、他の自治体とまちへの愛を競う「シビックパワーバトル」を企画、運営。河尻さんが上手なのは、人を巻き込む力、その気にさせる力で、市民が行政に「やらされている感」を感じさせることなく、自発的に「やりたい」と思える提案を示していくのです。
「行政とパイプができることで、企業や市民にとってメリットがたくさんあることを説明します。例えば企業が地域の人とつながりを持つというとどうしても営業色が強くなってしまいますが、行政というフィルターを通すとスムーズになったり。行政がこれやって、あれやってと一方的にお願いをするのではなく、一緒にやっていきたいと思えるような提案をすることも公務員としての仕事なんだと思います」
市民に寄り添い、本気でまちのことを考えている河尻さんですが、ずっと順風満帆だったわけではなく多くの「しくじり」があったそうです。
「以前、マルシェを行ったときに、都内の有名なお店を口説き倒してなんとか出店してもらったんです。心の中ではしてやったりで「流山市に有名なお店が来るなんで凄いでしょ」とドヤっていたのですが、想いとは裏腹でイベントに全然人が集まらなかったんです。なんで?どうして?と当時は思ったのですが、あとでアンケートや皆さんの意見を聞くと、「別に直接都内に自分から行けばいい。都内から近いんだし」と。ハッとしました。周りが全然見えてなかったんです。知らず知らずに「こんなことしている流山市凄いでしょ」と上から目線になっていたんです。がむしゃらに上辺だけの取り組みをやって駆け抜けた結果、後ろを振り返ったら市民が誰一人としていなかった。この出来事がなかったら、勘違いして終わっていたかもしれません」。
これではだめだと流山市に目を向け、歴史を知れば知るほどその奥深さと魅力に気が付いたという河尻さん。流山市内を走る流鉄流山線。以前は「ただのローカル電車」で魅力をあまり感じなかったそうですが、「電車がなく通学に困っていた学生のために、まちの人が出資をして流鉄流山線が誕生したという話を聞いて驚きました。流山市民根底には、困っている人に手を差し伸べたい、何か課題があったら自分たちで解決していこうという想いがあるんだと確信しました」。
一方、市民に協力してもらい雑誌風の表紙にしてホームページ上で紹介をする「Nstyle」という取り組みも始めました。「市民の皆さんに光を当てることが私の仕事。そして光が当たった市民から市民に光を広げるサポート、つまり黒子に徹することが大切なことで、市民の邪魔をしないように心がけてきました。一人ひとりの個性を尊重し、多様性を受容しながら、選択肢を広げていき、市民と一緒に歩んでいきたいと願っています」。
流山市では若い世代の人口が増えているのに出産祝い金などの手当や、家を買ったらいくら補助するなどはしていません。にも関わらず、7割の人がピンポイントで流山市に越してくるそうで「あのまちとこのまち、どちらがいいかなと迷うことなく、流山市で暮らそうと思っている。流山市に住むことに納得している。不完全なまちだからこそ、成長の余地があって、それを自発的にアクションしたいと思ってくださっている人が多いのかなと分析しています」。
妥協を許さず、市民にとことん目を向け歩んでいる河尻さんのライバルは「自分」。完璧のように見える人、まちであっても弱いところがあり、それをしっかり分析し市民の共感と力を得ることで乗り越えていく。これまでの流山市を「発展途上国のような勢いがあった」と言い表す河尻さんですが、今は成熟期に入り外向けのメッセージである「母になるなら、流山。父になるなら、流山。」から、今後は内向けのブランドメッセージを考えています。
心の底からこのまちに暮らしてよかった、選んで間違いがなかった――。
そう市民が思うことができるまち、千葉県流山市。その背景にはしくじりから多くを学んだ職員の想いがありました。
Editor's Note
河尻さんとは、かれこれ5年ほどのお付き合いになります。マシンガンのようなトークでジャストアイデアがどんどん生まれてくる姿を見て、プロモーションの「天才」だなと思っています。
全国から視察がひっきりなしに来たり、取材を受けたりと多忙にも関わらず、嫌な顔一つしない河尻さん。「とにかく謙虚であること」を強くおっしゃっていました。
私は多くの人と交流してきて、時には時代の寵児と言われるような偉い人、権威のある人たちと接してきましたが、世の中で「偉い」と言われる人ほど低姿勢で謙虚。そして人を比較したり悪口を言ったりすることがない。
文章の途中で「しくじり和佳子時代」と書きましたが、本人は笑ってOKしてくれました。どんなことも受け入れてしまう度量の大きさ。さすが。結果を出す人ほど謙虚である。今回の取材で痛感しました。
全然関係ありませんが、私は鉄道が大好きで、流鉄を見てすぐ「これ、昔の西武線の車体じゃないですか」と聞いたら「そうそう!流鉄見てそれ分かった人初めて!」と褒められてちょっぴり嬉しくなりました。
TOMOYUKI SAKUMA
佐久間 智之