公務員
新型コロナウイルスによって私たちの生活様式が大きく変わりました。
今まで当たり前だったことが愛おしいことに感じる――。
例えば、マスクをせずに近距離で対話を楽しむ。数ヶ月前にこんな当たり前のことに価値があるなんて誰が気がついていたでしょうか。 翼をもぎ取られたかのような喪失感が漂うなか、一つの動画が国民の笑顔を誘い、束の間の癒しを与えてくれました。
「農水省から皆様へのお知らせ」
ザ・公務員の印象から始まる動画。しかし最後の「オチ」にほっこりさせられる内容。相次ぐイベントの中止で需要が下がった花業界を盛り上げるべく、花いっぱいプロジェクトを立ち上げた農林水産省の若手職員が動画を配信し、大きな反響を呼んだのです。
その名は「BUZZ MAFF」
BUZZ MAFFとは農林水産省公式YouTubeチャンネルで職員がYouTuberとなるなど担当業務にとらわれず、その人ならではのスキルや個性を活かし、農林水産物の良さや農林水産業、農山漁村の魅力を発信するプロジェクト。「タガヤセキュウシュウ」「日本茶チャンネル」「農業遺産で太鼓たたき隊」などお役所動画っぽくない攻めた動画が特徴で、ウェブメディアやテレビなどで紹介されるなど大きな話題を呼んでいます。その仕掛け人が国家公務員の枠を超えて、マルチに活躍する公務員界の「マツジュン」こと松本純子さんです。
「大臣から今流行っているYouTubeを活用して若い人にも農水省に関心を持ってもらう広報を考えて、という指示があったことがこのプロジェクトのきっかけです」という松本さん。どうせやるならトコトンやる、ということで、バズっている動画を手あたりしだいに見て分析。人気youtuberたちの動画を見続けていくなかで少しずつわかってきたことがありました。ヒントは普段から農水省には「特定のジャンルにやたらと詳しい」職員が多いと感じていたこと。
「茶道家や漫画家、トンボマニアやきのこマニア、さつまいもを語ったら止まらない、そんなマニアックな職員がゴロゴロいるんです。その個性を農林水産と紐づけたら関心を高めることができるのではないかと。お堅い公務員という看板を逆手にとって、意外性を持たせることで面白くなる、という確信がありました」。
驚くべきことに、BUZZ MAFFの動画は全て職員の手作り。「全国の行政から問い合わせがたくさん来るようになったのですが、皆さん手作りということに驚かれます。たまに、なんてことをしてくれたんですか。手作りでこのクオリティを出されたら言い訳ができなくなってしまいます!と言われたりもするんですよ(笑)」。
与えられたことを真剣に、そして楽しみながらこなす松本さん。BUZZ MAFFの成功のカギは地方にいる農水省職員を尊重することだと言います。
※この動画はYahoo!ニュースで取り上げられるなど一番反響の大きかった「農水省からの皆様へのお知らせ」。花いっぱいプロジェクトの告知をシュールに伝えているこの動画は現在69万再生回数を超えている。
「今は霞が関で働いていますが入省してから地方を渡り歩いてきたんです。だから地域や現場の声がどれだけ大事なことなのか、身をもって感じてきました。現場のリアリティが重要。年齢や肩書にとらわれず、新人職員でもどんどんやりたいことをやってもらっています。もちろん気になるところは軌道修正しますが、基本はアイデアを出した職員が自由にできる環境の下支えだけしています」。
松本さんは愛媛県伊予郡砥部町出身。人口約2万人の自然豊かな小さな町で生まれ育ちました。父は家庭菜園が趣味、母は料理上手。そんな家庭ですくすくと育った松本さんは自然と「食」に興味を持つようになっていき、大学卒業後の2000年に農林水産省に入省し高知市に赴任。その後松山市、広島市、福山市と渡り、満を持して現在の中央省庁勤めとなりました。
地方では食育の出前授業を学校で行ったり、食品安全のために牛を追いかけ糞まみれになったり奮闘。抜き打ちの検査をすると罵倒されるなど、誰もが思う国家公務員とはかけ離れた仕事を行ってきた松本さん。しかし常に前向きな松本さんは個人的に食育とは何かを考え、そして担当者として知見を広げるためフードアナリストや野菜ソムリエの資格を取得。それは「生産者と消費者それぞれの思いを繋げたい」との思いがあるから。
「漁師さんに真鯛をカルパッチョにしたら絶対に美味しいですよ、とお話したら『かるぱっちょ?なにそれ』という反応をされたことがあるんです(笑)。地元の魅力に気が付いていない地域の人たちは多いんです。私は食を通じてその魅力を伝えるお手伝いができないかと常に考えています」という松本さん。その想いは公務を超えてプライベートでの活動で具現化されることになります。
「地方に行くと『また行政が首を突っ込んで面倒ごとを押し付けに来た』という目で見られがちです。赴任して半年は話に耳を傾けてくれなかったり、外もの扱いをされたりしました。でも、仕事の時間だけでなくプライベートも含めて本気でぶつかっていくと『あ、この人は本気で地域を考えているんだ』と相手の反応って徐々に変わっていくんですね」という松本さんの想いが地域に根付いた証のエピソードがあります。
「広島県の福山市から異動するとき、地元の人たちがなんと16回も送別会を開いてくれたんです(笑)。最初は外もの扱いされていたのですが、最後には温かく見送ってくれた。そんな間柄になれたのは、とっても嬉しかったですね。信頼を得るにはやっぱり現場の声に真摯に耳を傾けて、一緒に汗をかくことは大事なんです」。
地域の人たちの信頼を得るためにアクションを起こしているように見られがちですが、決してそうではなく「やった後に結果が付いてくる」というスタンスが松本さんの真骨頂。「他人のためにとか、地域のためにとか言うつもりは全くなくって(笑)。自分のためにやっているだけなんです」
フードアナリストや野菜ソムリエ、食生活ジャーナリストの活動で情報発信をすることでインプットした情報の倍以上の情報が返ってくる。それを繰り返すことで自然と自分自身が成長できる。だから自分のために活動し、成長を重ねればより多く質の高い情報を発信でき、結果として地域のためになっている。その積み重ねが大きな形となったのが冒頭のBUZZ MAFFなのかもしれません。
一方、培った情報と人脈を活かし、省内の職員へも食を学ぶ機会を設けている松本さん。「ゲスト講師を招いて日本の食を考える勉強会を職場の昼休みの会議室で定期的に開催しています。ゲスト講師が準備した食事を職員が食べながら意見交換を行う共食会や、日本のお酒に着目した勉強会などを通じて日本の食への理解を深め、部局間や組織の枠を超えた発想、提案を促すのが目的です。こうした取り組みを重ねることで農林水産業や食品産業、観光、グルメなど食を取り巻くものをシームレスに繋ぐ仕組みができればと思っています。今後はオンラインでも開催し、省内だけじゃなく外部の方も参加できるようにしたいと思っています」。
しかし、新型コロナウイルスにより「食」の概念や向き合い方が大きく変わりました。「これまでは『どこで』食べるのかが一つのステータスでした。青山のお洒落なテラスでスイーツを食べる、有名ホテルで食事をする、それが価値として見出されていたところがあったかと思います。でも、今は『何を』食べるのかが大事なポイントになってきたと感じています」と言う。
「多くの人が食を通じて誰かを救うことができる、応援することができると気が付いた。例えばテイクアウトも地域で地元のお店を応援できることが注目されましたよね。食べることで生産者、調理人、配達する人、お店の店員など食に関わる様々な人たちを応援できる。食は今まで当たり前の存在だったかもしれませんが、わたしもそうではなかったと改めて気づかされました。そうしたなかで食の情報を発信するにはストーリーと共感がより重要になるように思います」とコロナによって食への意識変革を語ります。
ストーリーと共感。「BUZZ MAFFで一番バズったお花の動画がなぜ反響が大きかったのかというと、お花の生産者はコロナ禍で書き入れ時だった春先のイベントがことごとく中止になり、非常に辛い状態にありました。地方の現場でそれを目の当たりにした若手職員の何とかしたいという想いがあり、すぐに動画にしてくれました。。その動画を誰かのために力になりたいという気持ちがくすぶっていた人たちが見てくれて「花を買って、部屋に飾ることで誰かを応援することができるんだ」と共感してくれた。こうしたストーリーがあったからこそ大きな反響となったのだと思います」。
地方の感覚を知りつつ、常にアンテナを立ててインプットとアウトプットを欠かさないマルチ国家公務員の松本さんは巷で「妄想家」と評されています。
例えば初めての人同士でも楽しめるように男女が集まり「ラブシーン」を妄想しながらご飯を作る『妄想調理実習』をプライベートで実施。「例えば、彼氏にクリスマスのごちそうを作るというシチュエーションを設定するんです。そうすればより面白みのある企画になりますし、参加者自身が自身の生活に寄り添ったイメージのなかで食に接することができるんです」と妄想の力を語る松本さん。福山市にいた時に始めたこのイベントは、多くのメディアに取り上げられ、募集直後には満員になるほどの人気に。
そんな妄想力のある松本さんが描く未来、夢を伺うと意外な言葉が返ってきました。
夢はありません。
「夢というと0からなにかをつくるイメージがありますが、わたしの場合はすでにあるものに息を吹き込んだり、その良さを伝えたりすることを続けていきたいって思っています。続けるって意外と大変じゃないですか。でも振り返ってみて、未来の自分が『ああ、続けてよかったな』と思えるように頑張りたい。地域には地元の人たちが気づいていない魅力がたくさんあります。それを活かして伝えていくことを「続けていくこと」、強いて言えばそれが夢なのかもしれません」。
松本さんの出身地の砥部町には砥部焼やシイタケ、じねんじょなどの特産品がありますが、まだまだ知られていません。そこで砥部町商工会が認知度向上などを目的に、飲食店メニュー研究委員会を発足し、町の魅力のPR強化をすることになりました。有識者を中心に構成された委員会の副委員長の名は。
副委員長 砥部焼大使 農林水産省 松本純子氏
小さな町から国に飛び出した故郷を愛する人のストーリーは、まだ始まったばかりです。
Editor's Note
まつじゅんさんとは数年前に出会いましたが、おっとりしていてそんなにガツガツした印象がないのですが、スイッチが入ると熱量の凄さに圧倒されます。その一方で涙もろい一面も。私が農林水産省で講師をさせていただいたあと、若手職員を交えたランチミーティングに参加したときのこと。手探りで始めたBUZZ MAFFが、高い評価を得られるようになり、自信に満ちながら話す若手職員たちを見て「こんなに成長して……」と思わず目頭を抑えるまつじゅんさんの姿を見て「ああ、なんてピュアな人なんだろう」と感じました。マツジュンさんからあふれだす優しさと温かさ。周りを巻き込む不思議な力は、食と農に対する不純物(混じりけ)のない想いの積み重ねによって生み出されているのだと実感しました。料理は好きですが、レパートリーが少なくて悩んでいるので、ぜひ妄想調理実習に参加してみたいと妄想してみました。
TOMOYUKI SAKUMA
佐久間 智之