地域おこし協力隊
趣味や好きなことを仕事にしている人を見て、いいなーと思ったことはありませんか?
自分もやってみたい。でも、ただ好きなだけで経験も実績もない自分が、一体何から始めればいいのか、挑戦の仕方がわからない。そんな方も多いのではないでしょうか。
1年目に撮った写真を見返すと、めっちゃヘタクソやなと思うんですけど、誰にだってそういう時期はあるから。
そう話してくださったのは、宮崎県新富町の地域おこし協力隊・中山雄太さん。今やフォトグラファー&映像クリエイターとして地域で活躍し、写真館まで立ち上げた中山さんが、趣味だったカメラをどのように仕事にしていったのか、お話を伺いました。
中山さんが写真や映像の魅力に気づいたのは大学生の頃。在学中、世界を旅しながら、旅の様子を動画に撮ってSNSで発信していたところ、動画を見た後輩から、「自分も南米についていきたい」と連絡をもらったのだそう。
「連絡をくれた後輩は初海外だったのに、いきなり南米まで来てくれたんです。それが僕にとっては原体験で、僕の動画が、人の心を動かして実際に行動させちゃった!みたいな。そのとき、人の心を動かせる映像や写真って魅力的だなと思ったんですよね」(中山さん)
他にも友達と旅行に行っては写真や動画を撮って編集し、データをプレゼント。友達が喜んでくれるのが嬉しかったと話す中山さん。ですが、当時カメラは趣味のひとつ。カメラマンになろうとは思っておらず、全く別の仕事をする予定だったといいます。
「コーヒーも好きだったんで、就職先はコーヒーメーカーに決まってたんですよ。でも卒業式の3週間前に、先生から『中山君、1単位取り忘れてるよね』って言われて。マジっすか…って感じですよね。親に申し訳なくて、リアルに泣きました」(中山さん)
卒業を間近にして、まさかの半年留年が決定し、内定も取り消し。これからどうしようか…と途方に暮れたのも束の間、「そういえば俺、カメラあるな」とふと思い立ち、カメラを使う仕事を調べてみることに。
そんな中で地域おこし協力隊として映像クリエイターを募集している地域がいくつかあり、話を聞きに行った中山さん。実績がなく、相手にしてもらえないこともありましたが、宮崎県児湯郡新富町の一般財団法人こゆ地域づくり推進機構(略称:こゆ財団)※ は中山さんに興味を示してくれたといいます。
※一般財団法人こゆ地域づくり推進機構:SDGs項目11「住み続けられるまちづくり」の達成を目的として、新富町が旧観光協会を法人化して設立した地域商社。農業を軸に、商品開発やブランディング、販路開拓を通じて稼ぎ、得られた利益を人材育成に再投資している。「世界一チャレンジしやすいまち」をビジョンに掲げ、新富町役場と連携し、地域おこし協力隊の受け入れや活動サポートも行っている。
「僕はカメラの実績も社会人経験もないから、『写真が好きなんです!それだけなんですけど、僕に仕事をいただけませんか!』って、もう目で訴える感じでした。不安がなかったといえば嘘になりますけど、逆に無知って無敵じゃないですか。知識はないけど、好きだから、何でもやれます!って、そういう気持ちで。
こゆ財団は、“世界一チャレンジしやすいまち”をビジョンに掲げていて、『何者でもないけどチャレンジしてみたい』っていう僕の気持ちとぴったりマッチしたんだと思います。僕もこゆ財団も、お互いにちょっと面白そうと思えたというか。
とはいっても、こゆ財団からしたら、本当に任せて大丈夫なのかを判断する期間は必要ですよね。だから、いきなり地域おこし協力隊としての採用ではなくて、まずは3ヶ月だけ業務委託契約を結ぶという形を提案してくださったんです。
それで、『今度イベントがあるから写真撮ってきてください』とか、『動画にまとめてください』みたいな感じで、いろんなお仕事をいただきました。普通、何者でもない人にいきなり仕事なんてこないから、僕にとっては本当にありがたいお話でしたね」(中山さん)
試用期間として始まった3ヶ月、とにかく「やれと言われたらやる」スタンスで、たくさんの現場に足を運んで実績を積んでいった中山さん。カメラマンとしての変なプライドやこだわり、自分の型がなかったからこそ、来るもの拒まず、あらゆるジャンルの撮影に挑戦できたと話します。
「もしこだわった写真を撮りたい人だったら、『いや、私はこのスタイルがいいんです』とか、『この色味がいいんです』とか言っちゃいそうじゃないですか。実績があれば、自分はイベント撮影に強いとか、作品撮りに向いてるとかがあるかもしれない。でも、僕にはそういうのがなかったんです。『とりあえず何でも撮らせてください』って、頼まれるものはガンガン撮っていきましたね」(中山さん)
「最初は、会議も難しい言葉が飛び交ってついていけなくて、リスケって何?Googleドライブって何?って、そのレベルだったんですよ。その場では知ってる風な顔をしてましたけど、家に帰ってネットで検索してました(笑)。そんな感じで、カメラのことでわからないことがあっても『できます!』って言ってたんですよ。言ったからには、本当にできないといけないから、必死に調べて、こんな風に撮るといいのかなって練習してましたね。
その3ヶ月でいろんな現場に行かせてもらう中で、場数が踏めたというか。最初の頃に撮った写真を見返すと、めっちゃヘタクソやなと思うんですけど、誰にだってそういう時期はありますから。あの期間があったから今があるんだと思います」(中山さん)
入社試験のような3ヶ月を突破すると、役場の担当者から声がかかり、正式に地域おこし協力隊として活動することが決定。「3ヶ月ですごいクリエイティブを発揮したからって理由ではなくて、人柄を見てくれての採用だったと思うんですけどね」と笑う中山さん。
地域おこし協力隊になってからも、積極的に地域の農家さんや事業者さんに出向いて撮影し、新富町の魅力を発信していきました。地域で実践と学びを繰り返しながら、自分らしい色を見つけていくことができたといいます。
「とにかく量をこなしたのが上達のきっかけだったかな。新富町はイベントも多いし、僕が追いつかないくらいネタには困らなくて、場数が踏めたのが一番良かったと思います。
あとは、YouTubeや本を見て勉強したり、地域おこし協力隊の活動経費で写真集を買って、いっぱい読みましたね。Instagramでも、自分が好きな写真家さんの写真をひたすら見るわけですよ。どうやって設定したらその写真に近づけるかを、考えては試す。そこから少しずつ自分の色が定まってきたと思います」(中山さん)
地域おこし協力隊2年目には、新富町内の空き家を活用して「ひなた写真館」をオープン。協力隊卒業後のことも考え、自分の拠点を作り、安定して稼いでいくために写真館を開いたのかと思いきや、そこにはもっと深い中山さんの想いがありました。
「人に会うのが僕の仕事だと思っていたから、地域おこし協力隊になった1年目の時はどんどん町に飛び込んでいってたんです。『こんにちは!中山と申します。地域おこし協力隊として町に移住してきました。活動としては写真を撮らせてもらってます。よろしくお願いします!』って感じで、しっかり挨拶してまわって。飲み会にも死ぬほど参加しました。そうやって地域の人と関係性を深めていって、可愛がってもらって、町に大好きな人がいっぱいできたんです。
だけどコロナで、人に会いに行ったり、集まったりできる機会が無くなってしまった。僕はそれが寂しくて、だったら自分が集まれる場所をつくろう!そしたらみんな来てくれるんじゃないかって考えました。せっかく写真を生業にしているし、写真をきっかけに集まる場所があればいいなと思って。
昔あったような写真館が減っているのも寂しかったですし、どうせならスタジオを構えてみようかなって。機材さえあれば、始めるのにそこまでお金もかからないですからね」(中山さん)
「今、駅前のすごく立地の良い場所をお借りしてるんですよ。すぐに場所が見つかったのも、1年目から築いてきた地域の人との繋がりがあってこそでしたね。新富町に写真館ができたのも十数年ぶりで、町の人も面白がって来てくれたり、猫が3匹いるから、写真は撮らなくても遊びに来てくれたりします」(中山さん)
2023年の3月末で地域おこし協力隊を卒業する中山さんに、退任後の展望をお聞きしました。
「新富町にはリスペクトできる人や、ずっとそばで過ごしていたいと思える人がいっぱいいて、僕はこの地域をすごく好きになっちゃったんですよね。だから今後も新富町に拠点を置いて、写真館の運営も続けていきたいと思っています。
あとは、撮影の仕事以外に、屋外シアターイベントも地域おこし協力隊の活動でさせてもらったんですけど、延べ200人くらいの人が来てくれて。そのときにイベントするってこんなに気持ちいいんだって、なんか写真じゃ得られないような快感を得たんです。だから、ゆくゆくは屋外シアターも事業としてやっていきたいですね」(中山さん)
さらに、協力隊の活動外で既に事業化しているというのがサウナ事業。サウナ好きの他の地域おこし協力隊と3人で、民宿の屋上を借りてテントサウナを始めたのだとか。
「まちおこしまではいかないですけどね。ただただ自分たちがサウナ好きなだけで。
改めて思うんですけど、まちおこしとか、そんな大層なことはできないと思っていて。自分が好きなことをしてたら、町の人も喜んでくれてたっていうのが理想の形というか。『町のために』って、それだけじゃ正直続かないし、自分の好きなものがちょっとずつ形になって、喜んでもらえる。それが地域おこしの本質じゃないですかね」(中山さん)
「地域おこし協力隊」というと、「地域のために」が最初にないといけないような気がしてしまいますが、決してそうではなくて。地域おこし協力隊という制度は、“好き”を仕事にするための一つの手段でもある、そんなことを中山さんは教えてくれたような気がします。
写真や映像の仕事を軸としつつ、さらなる広がりを見せている中山さんの今後の活動から目が離せません。
アナタの“好き”も地域と掛け合わせてみませんか?
Editor's Note
地域おこし協力隊としての採用前に、業務委託契約で試用期間を設けるというのはあまり聞いたことがない珍しい話。こゆ財団でも前例はなく、「僕は異例」と中山さんは笑って話してくださいましたが、その柔軟さは、さすが「世界一チャレンジしやすいまち」だと思いました。とはいえ、その整った環境に甘えず、自分の信念を強く持って果敢にチャレンジしていく中山さんの姿に、同じ協力隊として私も頑張らねばと刺激をもらいました!
CHIERI HATA
秦 知恵里