GUNMA
群馬
毎日、何気なく使っている水道の水。
その一滴がどこから来ているか、考えたことはありますか?
関東圏の1,300万人を超える人々の暮らしを支えるのは、利根川。
その利根川の最初の一滴が生まれる森が、群馬県利根郡みなかみ町にあること。そして、その森に異変が起きていることを、私は知りませんでした。自分のくらしに深く関わる重要な事実なのに。
利根川の源流のまち、みなかみ町で、事業を通じて自然に対する人の意識を変えようという挑戦者がいます。竹内康晴(やすはる)さん、美和(みわ)さんご夫妻です。
お二人から、みなかみ町の自然に起きている異変と保護活動について大きな気づきをいただきました。
竹内夫妻は、地域の自然の恵みを生かしたクラフトビールづくりを通し、自然と共存することの重要性をメッセージとして広げています。
ブルワリーの名前は、「OCTONE BREWING (オクトワンブルーイング)」。
名前の着想は、利根川の源流域を指す「奥利根」のローマ字表記(OKUTONE)から。KUをCに入れ替え、「OCT(オクト:英語で8の接頭辞)と「ONE(ワン:英語で1)」という言葉遊びで、多くのものが一つになるイメージを表現しています。
「みなかみ町には、支流が何百もあって、それがひとつの大きな川になって流れています。それと同じように、いろんな原料や想いがひとつのビールに結実する、というイメージです」(康晴さん)
このイメージは、同じ志を持つ地域の方々や国内外のマイクロブルワリーのお仲間と交流・協働し、大きな流れを生み出すお二人の活動にも重なります。
今回、竹内康晴さんに、クラフトビールづくりの展開とその根底にある想いを伺いました。
オクトワンブルーイングのウェブサイトを開くと、目の前に広がるのは奥利根の素晴らしい山々の写真。そして、そこに掲げられた「Enjoy Nature Smile Back(自然を楽しみ笑顔で返そう)」というブルワリーのコンセプト。
康晴さんは、コンセプトに込めた想いをこう話します。
「自然を楽しんで、その大切さに気付き、自然を大切に守ろう。そう思ってもらえるように表現したのが、『Enjoy Nature Smile Back』という言葉なんです」(康晴さん)
一見シンプルで前向きなメッセージ。
しかし、根底には、自然が引き起こした厳しい現実に向きあった経験がありました。そして、本当に伝えたい想いを伝えることの難しさや、これまでの葛藤が隠されています。
竹内さんが自然保護の大切さに気づかされたのは、2002年の秋のこと。
「実家の近くの沢が土石流で決壊して、幼馴染の家が流されました。幸いにも、死人や怪我人は出なかったんですけど、家や道路が壊される光景を目の当たりにしました。実は、戦っていかないと自然に押しつぶされてしまうくらいの環境なんです」(康晴さん)
その年の春、竹内さんは山菜取りのために、土石流が起きた山に入っていました。そのとき見ていたのは、手入れされていない杉の植林地が地滑りを起こしている光景。その時は地滑りがなぜ起きたか分かりませんでした。そして秋には、大きな災害が起きてしまいました。
「後になって分かったのは、人間が作った植林が、人間の手が加わらなくなった瞬間に荒廃し、最終的には人間の生活を脅かすことになるということでした。
その事実は、災害が起きた後、東京農業大学の林業の先生から聞きました。自分を含めてみんなその時まで知らなかったんです」(康晴さん)
人間が自然の中で作り上げたものが、手を離れた瞬間に脅威に変わる。そんな現実を初めて突きつけられました。
「地球温暖化のこともそうなんですけど、今、手を打たないと大きい問題になってしまう。でも、日々暮らしている中では目先のことばかりに意識が向いて、日常生活の背後で起こっている自然環境の問題にまでなかなか意識が向かないんです。
この危機感を伝えたいという思いが、出発点だと思います」(康晴さん)
「でも、ストレートに『危機だ』と伝えたところで人は動かないんです。むしろ、危機感を煽ってしまうと、否定する気持ちの方が強くなってしまうんですよね。
危機感を煽らず、自然と共生することは大事だと知ってもらうにはどうしたらいいのか。これを考えるところが、今にも繋がっているかな。伝達ってすげえ難しいなと痛感していました」(康晴さん)
重要な問題を、どのように伝えるかーー。
この伝達の課題感が、康晴さんがクラフトビールをつくるという選択へと繋がりました。
「言葉にするのって 分かりやすい反面、人の心に届きにくいなと。出された言葉は思うように人に伝わらず、間違えて捉えられたり、興味を持たれなかったりっていうのが非常に多くて。
反面、ビジュアルとか音楽とかは感性に伝えられる。ビールは味覚でも訴えられる。もっとスッと心に入るかなと。五感に訴えるものは、メッセージがのりやすいんですよね」(康晴さん)
ビールを、メッセージを伝える「メディア」として捉える康晴さん。ビールを通して伝えたいメッセージを聞くと、自然と共存する社会作りに対する熱い想いが返ってきました。
「みんな、自分が何かをやったとしても何も変わらないと思っちゃうんですよね。僕もそうだったんですけど。だけど、自分がやらないと始まらないんですよ。 それをね、気づいてほしいな。自分がやらなくても誰かがやるだろうなと思ってたら、物事は動かない。
たとえば、ゴミの問題もそうだし、二酸化炭素の問題もそう。問題があると気づいた人が動かないと、世の中って変わらないんです。まずは、問題に気づいてもらうきっかけになったらいいですね」(康晴さん)
そんな想いを胸に、みなかみの水と地域の産物を使って、自然を体感し考えるきっかけを作っています。
「伝えたいことはやっぱりね、自然の恵みのことなんです。みなかみのおいしい水と地域の産物を使わないことには人に届かないから、なるべくこの町でできたものを使います」(康晴さん)
「自然の恵みの豊かさを」を伝えるために、地域の素材を活かしたビールをつくる。
その想いを深め、みなかみ町で地域のお酒づくりをする意味を追求する中で、康晴さんは農業にも参入。地域産原料100%のお酒造りに向かって邁進しています。
「結局、お酒づくりは農業の延長だと、やってみて気付きました。というより、農業の延長であるべきなんです。ビールは工業化しやすい業態なので、一般的には工場で原料投入して大量生産される。
でも、歴史的に紐解いてみるとビールづくりは、日本酒の杜氏さんと同じように、もとは農家の母さんの仕事だったりするんですよね。家庭でつくり、生活の中で飲むためのものだったと」(康晴さん)
康晴さんにとって、ビールづくりは単なる産業活動ではなく、地域と密接に結びつく営みの1つです。特に、輸入麦芽を使う現状に疑問を抱き、地域でできるものを使いたいという想いが強まりました。
「輸入した麦芽を使って、でもこのまちの水を使っているから、このまちのビールだ、なんていうのもなんかおこがましい気がして。
コロナ禍でビールの需要が落ち、時間ができたからどうしようかってなった時に、周り見たら遊休農地がいっぱいあったんです。そこから、じゃあ、この時間と畑を使って、ホップを作ってみようかと栽培を始めたのが5年前です」(康晴さん)
その後、役場の農林課と話し合い、2023年、農産物の生産・加工・販売を総合的に行い、地域資源の付加価値を高める6次産業化というカテゴリーの中で、竹内さんは農業への参入を認められました。りんご園との繋がりもでき、りんごの栽培にも挑戦しています。
「ただビールつくるだけなら、東京でもできる。でも、どうしてこのまちでビールつくる意味があるのか、考えていました。遊休農地を活用せずに輸入原料だけ使ってるのは何なのか、自分の中でもジレンマがあったんです。
その違和感を解決するために農業に取り組んだという流れですかね」(康晴さん)
また、康晴さんとパートナーの美和さんは、2025年の3月には新たなブルワリーを完成させる予定。
「ビールを増産しつつ、みなかみ町にはリンゴ農家さんが多いので、リンゴのお酒を本格的に醸造できるように準備しています。 リンゴは、輸入して使うのは難しいんです。だからこそ、この土地で採れたものでしかできないっていうのが、果実酒の魅力ですよね」(康晴さん)
「みなかみ産100パーセントの原料でできるようになったら、すごく面白いと思います。メッセージ性もさらに強くなると思うので、今後さらに力を入れて取り組もうと思ってます」(康晴さん)
みなかみ町の管理されなくなった人工林は、野生動物による被害など、様々な問題の原因となっていると、竹内ご夫妻から伺いました。
日本固有の猛禽類「ニホンイヌワシ*」にとっても、間伐されず放置される人工林が増えることで、狩場を失い、絶滅の危機に瀕してしまいます。森林の生物多様性を維持するためにも、保護が重要だそうです。
*ニホンイヌワシ…食物連鎖の頂点にたち、生態系のバランスを保つために重要といわれる。
そこで竹内夫妻は、森林保護活動AKAYAプロジェクト』に賛同し、ビールの売上の1%を寄付しています。AKAYAプロジェクトでは、みなかみ町の『赤谷の森』の人工林を間伐し、ニホンイヌワシの狩場を作り繁殖を促進する取り組みを行っています。
また、AKAYAプロジェクトや、みなかみ町の森林の現状をより広く知ってもらうために、竹内さんは協働の輪を広げています。
例えば、2022年から続く『もぐらビアキャンプ』。通称『もぐら駅』とも呼ばれる、JR上越線土合駅の地下ホームでビールを熟成させ、それをグランピング施設で味わうという独自の取り組みです。このイベントは、グランピング施設『DOAI VILLEGE』を運営する株式会社plowerと協働したほか、JR東日本、日本自然保護協会らの協力により実現されました。
そして、康晴さんがクラフトビールづくりを学んだ塾の先輩後輩など、ビールを通じて自然保護活動を行う意志を持つマイクロブルーワリーの仲間が集まり、ビールの売上の3%がAKAYAプロジェクトに寄付されました。
康晴さんはイベントについてこう語ります。「来た人に何を持って帰ってもらうかが大事だと思っています。
もちろん、ビールを楽しむ目的で来てもらっていいのですが、それだけで終わりではなく、 プラスアルファで何か持って帰ってもらえるものがあったらいいなと。ビールにそういうメッセージを載せたいということがそもそものきっかけです」(康晴さん)
同じ目的意識を持つ仲間と協働することについて質問すると、康晴さんは笑みをこぼしながらこう答えました。
「単純に楽しいんですよ。参加した人たちも楽しい。せっかくビールをつくって楽しいことをするなら、もっとそれを未来に向けて発展させていきたい。
要するにお金儲けやその醸造所を大きくすることだけじゃなくて 、社会にとってもっと有用なことに貢献できる方向に進んでいきたいと思っていて、そのベクトルはみんな一緒です。
自分がやりたいことと、同じマインドを持っている人と一緒にやった方が効果的で、流れも大きいものになります」(康晴さん)
最後に康晴さんに続いて、マイクロブルワリーの事業をやってみようと思う人にアドバイスを求めると、こういうお返事をいただきました。
「 興味持っていれば、それだけでいいと思います。人は何ができるか、最初はわからないはずなんですよ。だからこそ、楽しそうだなと思って始めるだけでも、十分だと思います。 その興味が次に繋がりますから」(康晴さん)
興味を持つことで次に繋がる―人生の次のステージへのドアを開くために、大切なメッセージではないでしょうか?
竹内夫妻のストーリーから、クラフトビールづくりに興味を持ったアナタ。
LOCAL LETTERには様々な想いをのせてクラフトビールをつくる醸造家のストーリーがあります。
自然と共存する社会づくりに興味を持ったアナタ。
LOCAL LETTERには様々な切り口から環境問題に取り組む人々のストーリーがあります。
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アナタの興味のもう少し先に、新しい世界が広がるかもしれません。人は何ができるか、最初はわからない。 アナタの挑戦の第一歩を見つけてください。
Editor's Note
メッセージを載せたクラフトビールづくりに興味を持たれた方、是非みなかみ町のオクトワンブルーイングに足を運んでみてはいかがでしょうか。美味しいビール&りんごのお酒と竹内夫妻の温かい笑顔が待っています。
Sawa Kawahara
河原 さわ