Agematsu-cho NAGANO
地域おこし協力隊
長野県上松町は、中央アルプスに隣接した人口4,000人ほどのまち。美しい山々に囲まれており、古くは林業・木材が主要産業として栄えた町です。
今回お話をお聞きしたのは上松町で2018年から3年間、地域おこし協力隊(以下、協力隊)として活動していた小林信彦さん。木材産業を活かした「木工のまち」として上松町を盛り上げるため、数々の計画を練り上げ実行に移した、パワフルな協力隊員だったのだとか。
協力隊卒業後も上松町に住み続け、任期中に立てた計画に取り組み続けています。しかも2023年4月には町議会議員選挙に当選。町の未来を担う名手として一線で活躍しています。
何が、そこまで小林さんをまちづくりに駆り立てるのか。小林さんの熱意の源を探るべく、協力隊に着任した背景から任期中の体験談、卒隊後の事業について伺ってきました。
長野県長野市出身の小林さん。長野の高専を卒業すると静岡県のバイクメーカーに就職しました。バイクエンジンの設計や開発をする部署に配属となり、パソコンに向き合い作業する日々。入社前に思い描いていた「ものづくり」とは違う環境に、だんだんと疑問を持ち始めたといいます。
「幼いころから工作が好きでした。就職してからはパソコン仕事、図面や資料作成ばっかりで。もっと自分の手を動かしてものをつくりたかったんです」(小林さん)
そんなある時、小林さんは職場の同僚から「結婚式で使うウェディングボードをつくってほしい」と頼まれます。「つくるなら手づくりの風合いがでるものがいい」と考え、ホームセンターで木材を入手。工夫を凝らしてつくったボードは、同僚からとても喜ばれたそうです。
これを機に、友人からウェディングボードの制作依頼が数多く寄せられることになります。
「みんなが『これは売れるんじゃない?』って言ってくれて。試しにネットショップを開設してみたんです。働きながらだったので、たくさん注文があってもつくりきれないと思い、少し強気の値段設定にしました」(小林さん)
そんな値段設定にしていたにも関わらず、予想以上に注文が入るように。最初は注文が来ることに喜んでいた小林さんですが、次第に制作物のクオリティに満足して良いのか疑問を持つようになります。
「お金をいただいて制作しているのに、今のままの出来で良いのかなと思いはじめて。結婚式の日時は動かせないので、僕が満足できないからといって『ちょっと待ってください』とも言えないんですよね」(小林さん)
「きちんと木工を学びたい」という思いが湧きあがってきた頃、小林さんは思い切って仕事を辞め、「木工の東大」とも呼ばれる長野県上松技術専門校に入校することを決意します。
「その後もウェディングボードの注文はあったので、木工を学び、もっと良いクオリティで提供できたら、それを仕事にできるだろうと考えていました」(小林さん)
こうして小林さんは上松町へ居住を移すことに。
上松技術専門校は、1年という短い期間で木工のノウハウを学び卒業となります。
「自分は当時29歳だったのですが、仲良くなったのは高校を卒業したばかりの若い子たちでした。10歳も年が離れていたのですが、彼らと学んだ1年間はとても楽しく刺激的でした」(小林さん)
卒業後の進路も見据え、木工のイベントや家具工房の見学に出かけるなかで、とある名古屋の家具工房と出会い「この工房で働いてみたい。ここで技術をもっと学びたい」と強く思うようになった小林さん。しかし当時、その工房は「今は採用をしていない」状態でした。
「その工房でしか働くイメージが持てなかった。他の工房に就職したら『あそこで働けていたら、もっと違ったのに』とずっと後悔するなと思ったんです。他の工房では働けそうにない。でも木工に関わる仕事がしたいと悩んでいた時に思い出したのが、以前参加していた地域おこし協力隊の説明会でした」(小林さん)
当時上松町では、全国から上松技術専門校に若者が集まるのに、町に就職先がなく卒業生が定着しないことが課題とされていました。そこで、卒業生を協力隊として迎え入れる案が浮上していたのです。
年々、実家に帰省するたびに寂しくなっていく故郷を「いつか盛り上げたい」と、「地域おこし」に興味を持っていた小林さん。その興味から、「他のまちではどんな取り組みが行われているのか聞いてみよう」と上松町の説明会に参加していました。
「当時は少しフワっとした説明会だったかもしれません。僕も企業を辞めたばかりだったので、『町の木材を活用して、木育のプロジェクトを企画してほしい』という役場の方に対して、『活動期間での目標設定やKPIはありますか?』とか、今考えるとちょっと恥ずかしい尖った質問をしましたね笑」(小林さん)
就職せずに協力隊に挑戦してみようと思い始めてからは、任期である3年間の計画を一気に練り上げたといいます。
町が課題に感じていた「訓練生が定着しないこと」を解決するために、まずやらなければいけないことを洗い出し、そこから自分の任期3年間でやるべきことを設定。その時に役立ったのは会社員時代のスキルでした。
「エンジンは何度も試作改良して製品化するのですが、開発中に問題が起きた時にきちんと原因を究明して改善しなくてはならない。『何が悪くて、どう改善するか』が必要です。その思考法を、自然と地域おこしにも応用していたんだと思います」(小林さん)
こうして協力隊の採用面接に合格した小林さんの、協力隊としての活動が始まります。
着任初日は役場に向けてのプレゼンからスタート。
「着任前から計画についてはやりとりを始めていて。協力隊が作品づくりに使える工房を整えるために、空き物件についてなど、あらかじめ相談をしていました」(小林さん)
しかし、計画はいきなりつまずくことに。工房として整備する物件を見に行くと、多くの荷物が残る空き家が待ち構えていました。
「不要なものを片付けるだけで2ヶ月かかりました。当初計画では、すでに工房が完成しているつもりの期間。さらに片付けたら床が朽ちていたので、貼り替えることにもなって。片付けと修繕だけでほぼ1年費やしました」(小林さん)
着任当初から次から次に訪れる課題。次に訪れたのは「予算」の問題でした。当時の小林さんたちが使えるお金は、小林さんと同期の協力隊員の2人分の活動経費のみ。ですが準備してもらった数軒の工房の家賃や公用車の使用料などを差し引くと、ほとんど予算は残らない状況でした。そのままでは工房に必要な機材を購入することができなかったのです。
「着任初日のプレゼン資料をいろいろなところで印刷してPRしていました。そうしたら県職員の方の目に留まり『今年度の補助金に余裕があって追加募集をしているから、応募してみては?』と声をかけていただけて」(小林さん)
追加募集の締め切りは1週間後。それまでに必要な書類や提案資料をつくる必要がありました。役場の職員は「資料の用意は難しいだろうから無理なのでは」と思っていたんだとか。
「たまたま県庁から出向していた職員の方が『こんなチャンスは滅多にない。お手伝いするので申請しましょう』と助け舟をだしてくださって。大急ぎで2人で資料を作成しました。それが無事に採択され、300万円ほどの予算がついて必要な機材を揃えることができました」(小林さん)
この時の経験が後々の活動に役立つことに。国や県の補助金申請の方法や、町議会の予算採択の順序、スケジュールを把握することに繋がり、地域で活動していくために必要なお金周りの状況を勉強するきっかけとなったのです。
「予算が潤沢ではなかったおかげで、結果的に予算を確保するノウハウを学ぶ経験を積むことができたんです。役場の人が忙しくて手が回らないところを、自分に任せてもらう信頼関係もできあがり、動きやすくなりました」(小林さん)
遅れながらも着実に進んでいった小林さんの計画。当初予定から遅れること約半年、ついに協力隊が作品づくりをする工房が完成しました。
小林さんは後に、この工房で協力隊が作品を作り発信する一連のプロジェクトを「AGEMATSU WOOD LIFE MAKING」(以下、A.W.L.M)という名前で打ち出します。
小林さんはA.W.L.Mの工房を完成させると、練り上げた計画に次々と着手していきます。任期2年目で着手したのは、A.W.L.Mでつくったものを展示するための家具ギャラリー&コミュニティースペース“KINOTOCO” の立ち上げ。そのほかにも、プロジェクトを発信するためのWebサイトやPRブックの制作、プロジェクトのブランディングを進めていきました。
「工房を完成させたことで、周囲の風向きが少し変わりました。役場の方たちも『この工房いいね。じゃあ、こんなこともできる?』と言ってくれるようになって。次第に今後のプロジェクト予算についても、積極的に話が進むようになりました。
行政に活動を認めてもらうためには『これを実現します』と宣言したことを、ひとつひとつしっかりと形にしていくことが大切だと思います。提案から実現までを見てもらうことで、それが次の活動に予算をつけてもらう時の自分に対する判断材料になるからです」(小林さん)
そして任期3年目に取り組んだのは、協力隊卒業生や若手木工作家が使えるシェア工房をつくる計画です。今後も継続して技術専門校から協力隊を採用していくためには、起業のためのの受け皿を作る必要がありました。
「町の職員の方と一緒に、国の交付金を獲得してシェア工房をつくるプロジェクトを立ち上げました。これは元々の町の課題であった『技術専門校の卒業生を町に定着させること』の解決に関わる大事な拠点づくりです」(小林さん)
シェア工房づくりは複数年にわたる大規模なプロジェクトのため、小林さんは卒業後もプロジェクト進行を担うべく、 “地域コーディネーター” として役場より業務委託を受け従事することになりました。
「卒隊後は、協力隊の起業支援金を利用して自分の作品制作プロジェクトである “BACKYARD” もスタートさせました。また、民間だからこそ出せるスピード感で取り組めることもあるなと思い、2022年の12月には県の起業支援金を利用して、まちづくりのための合同会社も立ち上げ代表をしています」(小林さん)
自分の思い描く “木工のまち、上松” を実現させるために、様々な角度からスピード感をもってアプローチしている小林さん。2023年にはなんと、上松町議会議員選挙へ立候補し、初出馬ながらトップ当選を果たします。
「地域コーディネーターとして、現場からボトムアップで進めていくよりも、議員になってプロジェクトの必要性を直接提言することで、スピードが出ると思って。周りから声をかけていただいたこともあり、出馬を決意しました」(小林さん)
協力隊卒業後も上松町の “地域おこし” に力を注ぎ続ける小林さん。何がそこまで駆り立てるのでしょうか。
「上松町のためにやっているなどというと少し恐れ多いなと思っていて。まずは自分の好きな木工がもっと面白くなるように取り組んでいます。上松町にはレベルの高い技術専門校があり、木材も豊富にある。自分が目指しているものを実現できるストーリーが揃っています」(小林さん)
そして一貫して小林さんの原動力になっているのは、技術専門校で学んだ「楽しかった1年間の思い出」です。
「一緒に学んだ若者たちがいつか自分の工房を持ちたいと思った時、上松町に環境があれば、彼らが戻ってくる理由ができると思ったんです。彼らと面白いことを、いつかここ上松でやりたいですね」(小林さん)
地域の訓練生だった1人の若者が協力隊になり、ついには町議会議員になってまちづくりを押し進める。真剣に木工とまちづくりについて語る小林さんの眼差しは、常に明るい未来を見すえていました。
アナタも、自分が夢中になれるものと町を結びつけて盛り上げるために動き出してみませんか?
Editor's Note
地域おこし協力隊の任期真っ最中の僕は、インタビュー中思わず「わかります!」といいたくなるほど、似たような困難や壁を経験されていました。その中でもスピードと推進力をもって計画を実行していく小林さんのことを尊敬します。今度、上松町に遊びにいきたくなりました。
DAIKI ODAGIRI
小田切 大輝