YATSUGATAKE AREA
八ヶ岳エリア
東京と地方に居を構えて生活する憧れの2拠点生活。せっかく地域で生活するなら、自然を満喫したり趣味を充実させたりするだけでなく、自分のスキルや知識を活かして地域に貢献できる“仕事”がしたいと思っている方も多いのではないでしょうか。
今回は、4年前に八ヶ岳の麓に引っ越し、地域で様々なプロジェクトを展開している栗原さんにお話しを伺い、地域で仕事を創り出す極意を教えていただきました。
大学卒業後、長く映像畑で仕事をしてきたというが、時代とともにその活躍の場はテレビからWEBへと活動の幅を広がっていく。さらにはビジネス経済系のライターも勤めるなど、八ヶ岳に来る前から多岐にわたる仕事を行ってきた栗原さん。
「2002年には友人と会社を立ち上げて、当時はまだ一般的ではなかった、WEBで動画を流すということをしていました。SNSも出始めの頃で、YouTubeもまだない。これからネットでも映像を流せるぞっていう時代だったんです。
そこで働く間に勉強し直したくなって、大学院でメディア論を一から研究しました。大学院ではメディアのこれからとかローカルメディアのあり方を学びつつ、それを仕事で実践するという感じでしたね」
「もともと人が集まるコミュニティ(地域社会)に興味があるんです。どんな風にそのコミュニティが成り立って、形成されて、運営されているんだろう、そしてそのコミュニティに、メディアがどう貢献できるんだろう、と。」
そんな中でもより一層コミュニティ(地域社会)に興味を持つきっかけになったのは大学院が終わる頃に起こった東日本大震災だったという。
「東北の田舎の方へボランティアに行って、そこで地域の人たちと接するうちに、地域の中でのメディアの役割をより深く考えはじめたんです。災害があった地域でメディアができることってなんだろう、情報を伝えたい人に伝えられているんだろうか、とか。
そんな経験があって一から会社を作りたいと思って、2016年1月今のサシミメディアラボ株式会社を立ち上げました。ひとり広告代理店・制作会社といった感じです。映像だけではなく、WEBや紙媒体などなんでも。いろんなフリーランスの人たちと組みながら、企画から制作までのディレクションをしています」
「震災のボランティアに行った頃から、山の近くやもっと自然のあるところに住みたいなと考えるようになりました。八ヶ岳に引っ越してきたのは2016年6月です。この辺りにはよく遊びに来ていましたが、最初から八ヶ岳の富士見町に決めていたわけではありませんでした。その頃、知人を介して面白いところがあるよと紹介されたのが『富士見 森のオフィス』。そこからトントンと “引っ越し” をする話が進んでいった感じです。
あ、僕は常々これは “移住” じゃないと言っています。移住じゃなくて “引っ越し” です(笑)東京の家は杉並区にあるんですけど、もしそこから江戸川区に引っ越したら、“移住” って言わないじゃないですか。近場への “引っ越し” ですよね。“移住” っていうと一気にハードルが上がるけど、もっと気軽に住みたいところに住めばいいのにって思うんですよ」
とはいえ、都市部の生活と田舎の生活は違いも多いはず。特に近所や人との付き合いは町のそれと比べると濃厚な印象は拭えない。栗原さんはそこをどのようにクリアしたのだろうか。
「地方に引っ越して来ると、地域の人と積極的に交わらなければと、プレッシャーを感じる人もいると思うんです。周りからもそんな話を聞きますし。そりゃ交流はあるに越したことはないし、できる限りはやるべきなんだろうけれど、そんなに構えることもないんじゃないかなと。
僕の実家は東京の郊外で、周りに畑もあるような所です。古くから住んでいる人もいるし、新しく引っ越してくる人もいる。それぞれが共存して流動的にやっている。地方だってそういうことでいいんじゃないかなって思うんです。地方だからといってそんなに気負ってやる必要はなくて、楽しめばいいんですよ」
それにしても、八ヶ岳に来て最初に暮らしたのは、移住者などほとんどいないディープな地区だったというから驚く。そこではどっぷりと田舎ならではの付き合いも体験をしたそう。
「八ヶ岳に引っ越してきて最初に住んだ地区では、 “出払い”(※地域内に住む人同士が行う共同作業。草刈りや道路の維持・清掃など屋外作業であることが多い)がよくありました。その時は積極的に出て、地域の方との関わりがあって、それはそれでよかったです。
その後、手狭になったので、今の家に引っ越しました。この地区では賃貸に住む人は “準区民”(※地域により違いがあるが、主には賃貸や別荘で暮らす人などの入区費や区費が安くなる制度。半面、区有財産についての権利がないなどの制限がある場合が多い)という扱いなので出払いには出なくていいって言われたんです。僕としては、前の家でも出払いによく出ていたし、ちょっと拍子抜けした感じでした。出なくていいっていうのをガツガツ出かけていくのも違うかな?と思って、今は出ていないです。やるべきことをやるなら楽しんでやるし、そうでなければないでいい。ニュートラルな感じで今の生活を楽しんでいます」
引っ越してきた当初、栗原さんは東京での仕事を八ヶ岳に持ち帰るという生活を想定していたんだそう。予定通りの生活をしつつも、縁もゆかりもない八ヶ岳の麓で、徐々に新しい仕事も作り出し始めて行った。
「東京に行くのは打ち合わせや現場の仕事など行かなくてはできないことで、パソコンを使ってできる仕事はこちらでするといった感じでやっています。仕事の半分以上はパソコンでできるので、それを八ヶ岳でゆっくりやろうかなと考えていたんです。
でも八ヶ岳に来て半年経ったくらいから、こちらでも仕事が増えてきました。どこに住んでいたとしても、人と会って、話して、種まきをしてつなげていく。それがちゃんとできれば仕事はどこでも同じだと思うんです。
東京に住んでいたって仕事があればどこへでも出かけますし、それはこちらに住んでいても変わりません。自分の仕事をしっかり続けていくだけ、なければタネを撒く、それだけのことだと思います」
八ヶ岳で作り出した栗原さんの仕事の代表格ともいえるものがある。まさに人とのつながりという種まきから芽が出たといってもいいそれは、八ヶ岳とでゆっくりと根付き、さらなる発展を生み出していた。
「八ヶ岳に来てから『ヤツメディア』というグループを作り、『せんにん』という地域メディアを立ち上げました。『せんにん』は最初から仕事につなげようと思って始めたことではなくて、単純に僕がこちらにきて、八ヶ岳やその周辺のことやそこに住む人のことを知りたかったという面もあるんです。なんか面白そうな人がいるな?と思ったとき、 “仲良くしてください” って言ってもいいんだけど、仕事・取材としてなら声もかけやすいし、限られた時間の中で深くいろんなことを聞けますよね(笑)。ただの会話だとそこまで深くは話さないじゃないですか。でも取材だとグッと深く親しくなれるし、話を聞けるんです」
「『ヤツメディア』は、僕同様、移住者、いや、引っ越ししてきた3人で活動しています。仕事も基本的にはメディア企画・制作ですが、東京と大きく違うのは顔の見えるコミュニティだということです。東京は人が多すぎて思うようにいかないことも多かったんですが、ここでは、地元の方との絡みがとても多いからこそ、地域の人たちと地域のためになるメディアづくりをすることができています。ここでしかできなかったことだなと思いますね。
これらのメディア自体は売上や利益を目的としていませんが、取材やプロジェクトで関わった人と別の新しい仕事の話になることがよくあります。でも最近もっと嬉しいなと思ったことがあって。『ヤツメディア』の活動でラジオの仕事もやっているんですが、そこに出演してくれたゲストさん同士が繋がって、また新しい活動が生まれたんです。自分が人と人を繋げたり、新しい何かを生み出すきっかけになれたっていうのがとても嬉しかったですよ」
しかし東京に比べ、厳しい自然環境、不便な生活であることは事実。それでも続けたくなる「八ヶ岳でのくらし」とは一体、どんな暮らしなのだろうか。
「八ヶ岳ではだいたい、午前中は自宅で仕事、お昼を食べながら出かけて午後は森のオフィスに行って仕事をしています。近くに店がないので、夜、外食したり飲みに行ったりすることはなくなりましたね。
冬も4回経験しました。ここ(2軒目の家)に初めて引っ越して来た2018年は諏訪湖に御神渡り(※凍った湖の表面がせり上がりできる氷堤のこと)ができた年で寒くて、内覧に来たときはお風呂の水が底まで凍ってたくらいでしたよ。それに比べるとここ数年は雪も少なくて全然大丈夫だと思っちゃいます。
2箇所に生活の拠点を維持することで当然費用はかさみます。特に冬は水道管を凍らせないための電熱線の電気代なんかがとてもかかるんです。でも、例えば仕事用の事務所を借りることを考えれば、十分現実的な、必要経費内だと思います」
「東京に行くときは打ち合わせや現場という対外的な仕事だということもあって、ここにいる時よりある種の緊張感やテンションが高めだと思います。その点こちらでの生活はのんびりしていますね。
一番ストレスを感じるのって、僕は人間関係だと思うんですけど、こちらはなんだろう?いい人が多いのかな?いい人というより面白い人ばかり。こちらでももちろん人と会って人と仕事しているけど、ストレスに感じることがほとんどないんですよ。
意外なところでは、東京で初めて会う人と打ち合わせをしても、八ヶ岳に住んでいると言うとよく覚えてもらえるんです。雑談の内容も当然こちらでの暮らしのこととかになりますから、東京に住んでいる人と話すのとはまた違った形で印象に残りやすいなというのは感じていますね。
2拠点生活ってその人の性格にもよるんでしょうけど、僕は案外すんなり楽しめています。加えてものすごく価値のある暮らしだと思いますしこれからも続けていきたいと思っていますよ」
東京での仕事を続けながら八ヶ岳に引っ越し、ここでも新たな人とのつながりをもとに新しいことにチャレンジし続けている栗原さん。住む場所にかかわらず、「仕事を作り出す」ことの基本は変わらないというそのフラットな感覚は、移住、2拠点生活をより実りあるものにし、地域で新たな仕事や活動を生み出すポイントなのではないでしょうか。
栗原さんにアテンドしていただき山の上にいるステークホルダーに会うため軽登山をする予定です。そのあとは栗原さんのお宅で地域プロジェクトメンバーと一緒にBBQをします。地域でどのように仕事を作っていったのか、生活の楽しみ方など直接聞いてみませんか?
体験ツアーでは、栗原さんの他、2人の先輩移住者がガイドとなって八ヶ岳の魅力をご案内します。気になる先輩移住者、そして気になる八ヶ岳エリアの体験コースからお選びください。
【ツアー開催日】
・10月24日(土)-10月25日(日) 1泊2日
【内容】
10月24日:
10:00- 新宿駅集合(森のオフィス手配バスに搭乗)※詳細は追ってご連絡
13:00-14:00 森のオフィス見学
14:30-15:30 八ヶ岳散策
15:35-16:00 野菜直売所見学、買い物
16:15-16:45 セルフビルドで建てた移住者宅見学
17:00-20:00 懇親会
夕食は蓼科にあるイタリアンレストランのシェフが地元の旬な食材を使った料理を提供してくれます。
宿泊先: 森の中のコテージ・森のオフィスLiving
10月25日:グループに分かれてデュアルライフ体験
A. 新宮圭 :山梨県にある山の岩場でクライミング体験(ビギナーも参加可)
B. 馬淵沙織:地域の人達と協力して作り上げた古民家見学、畑での収穫体験
C. 栗原大介:地域プロジェクトの紹介、ステークホルダーとの交流体験(山小屋まで30分ほど歩きます)
15:00-
B.C馬淵、栗原チームは森のオフィス集合 →バス搭乗
A.新宮チームは双葉サービスエリアにてバス搭乗
新宿駅到着 解散
※上記スケジュールは一部変更になる可能性がございます。予めご了承ください。
【料金】
¥28,000
・新宿⇄森のオフィスまでの往復高速バス交通費
・宿泊代
・現地アテンド
・夕飯(24日)
・昼食(24.25日)
上記は料金内に含まれます。
※24日,25日朝食代は含みません。
※ A.新宮コースに関しましては、別途mont-bell山行保険加入必須(保険種類:SD12 ¥2,000)が必要になります。
【定員】
定員15名(各グループ最大5名まで)
※最小実施人数:2名
【申込み方法】
下記ボタンをクリックして頂きGoogleフォームにてご予約をお願い致します。
※申込み期限:2020年10月13日(火)
【持ち物】
A 新宮圭のコース クライミングシューズ、チョークバッグ、クライミングができる服装
B 馬淵沙織のコース 作業用手袋、汚れてもいい靴
C 栗原大介のコース 軽登山ができる服装、靴
【第一回】掲載日9/23:新宮圭(Webエンジニア/会社員&経営者)
週半分は東京の会社に出勤し、もう半分は長野でリモートワークを行う傍ら、週末は近くの山で大好きなクライミングに打ち込む新宮さん。 最近は趣味が高じて、クライミングの映像制作チームも立ち上げました。“好き”をとことん追求しながら仕事と趣味を両立する、新宮さんのこれまでの試行錯誤の軌跡と、“夢”に向けた展望を取材しました。
<ツアー体験内容>山梨県にある山の岩場でクライミング体験(ビギナーも参加可)
都心の大手企業に勤めながら、週末に長野で古民家再生や農業に取り組む馬淵さん。移住者ながら地域のコミュニティにどっぷり入り込み、老若男女、様々な人たちと協働してプロジェクトを推進しています。職場の上司、同僚の理解と協力を得ながら、2拠点生活をスタートさせた。馬淵さんの熱い想いと行動力の源泉を取材しました。
<ツアー体験内容>地域の人達と協力して作り上げた古民家見学、畑での収穫体験
【第三回】掲載日9/28 : 栗原大介(映像・Web制作/自営業)
東京で磨いたスキルや知識を活かし、地域でいくつものプロジェクトに携わる栗原さん。映像やWebの制作からプロジェクトのディレクションまで、マルチなスキルを活かし、地域で絶大な信頼を得ています。移住者がどうやって地域で仕事を作るのか、また地域で求められるスキルは何なのか、地域プロジェクトの極意を取材しました。
<ツアー体験内容>地域プロジェクトの紹介、ステークホルダーとの交流体験
Editor's Note
私が八ヶ岳に移住してきた20数年前。結婚や転勤と関係のない移住は「変わり者」と片付けられた。しかし今それは、ごく一部の「変わり者」が目指すものだけのものではない。東京一極集中がすぐに終わることはないだろうが、地方への人の流れも一過性のブームとして終わることもないだろう。どこに住むかが重要なアイデンティティーであると同時に、どこに住んでいても変わらない芯を持つことも大切だ。
YUKIKO TANAKA
田中 ゆきこ